延享の島争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 16:06 UTC 版)
1747年(延享4年)4月。付寄島の開発が始まると、沼垂町は「島は川の水深が浅い方に帰属する」という元禄の訴訟の裁許に基づいて新潟町を幕府に訴えた。これに対し新潟町は、島の所属はすでに元禄の裁許で決着済みであること、両町立ち合いで川の水深を測る約束も、沼垂町は50年以上にわたって放棄していると主張。1747年(延享4年)9月に幕府の裁許が下され、沼垂町はこの訴訟でも敗訴した。
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