付寄島の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 16:06 UTC 版)
「湊島」は50年ほどの間に成長し、延享年間には互いに接近する三つの大きな島となって沼垂町側に寄り付きそうになっていた。島と沼垂町の間は川幅70mから140mの浅瀬(古信濃川)となり、本流は新潟町と島の間に変わり、島の名前も「付寄島」と呼ばれるようになった。
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