犬神人の起源
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長元4年(1031年)秋霖の卜占によって宣旨を下し祇園四至葬送法師を捕獲して神祇官で「科祓」をうけさせているのが『小右記』に見える。これが境内の不浄死穢を追放した始まりである。 康永3年(1344年)の『八坂神社文書』133号「感神院所司等申状案」によれば、延久の荘園整理令(1069年)で鴨川東岸の三条~五条間の河原田畑の領有を認められたとき、これを祇園社より社恩として非人に賜い、犬神人と号したという。この文書は建仁寺との争論に基づいて出されたものであり、300年近く遡る延久年間の事情を正確に語るものではない。しかし祇園社境内を追い出され近辺の河原に移り住んだ葬送法師たちが平安・鎌倉のある時点で「犬神人」として把握された、ということは事実と思われる。 日蓮の『御書』には、嘉禄3年(1227年)の山門(比叡山延暦寺)の法然墓所破却を「犬神人(つるめそう)」に命じて行ったとあり、これが祇園社犬神人の初見と思われる。祇園関係の史料にはっきりと現れるのは弘安9年(1286年)の「感神院所司等申状案」(『八坂神社文書』1270号)で、「以公人、宮仕、犬上人等」とあり、山門或いは祇園社家に仕える用務の者として使役されている。
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