しらかわ‐てんのう〔しらかはテンワウ〕【白河天皇】
白河天皇
白河天皇
1072年に後三条天皇から譲位を受けて第72代天皇となるが、1086年に子の善仁親王(堀河天皇)に譲位して上皇となり初めての「院政を開始」した。
白河上皇は院庁をおいて政治を司った。
以後堀河・鳥羽・崇徳の三代にわたり40年以上も院政を布いた。
関白藤原忠実を失脚させて事実上摂関政治を名ばかりのものとするなど強力な院政をしいた。
また輔仁親王勢力や比叡山延暦寺・興福寺などの山法師に対抗するため「北面の武士」を設置し上皇の権力を強化して、上皇院の保全をはかった。
白河上皇の時代には仏教が盛んになり、白河上皇は七堂伽藍をもつ大寺院法勝寺を建立するなど仏教を手厚く保護した。
第72代天皇 | |
天皇名 | 白河天皇 |
読み方 | しらかわてんのう |
名・諱等 | 貞仁親王 |
読み方 | さだひとしんのう |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 1072年から1086年 |
生年 | 1053 |
没年 | 1129 |
父 | 後三条天皇 |
母 | 藤原茂子 |
兄弟 | 実仁親王・輔仁親王 |
配偶者 | 藤原賢子・藤原苡子 |
皇子女 | 善仁親王 |
即位宮 | 平安京 |
天皇陵 | 成菩提院陵 |
所在地 | 京都市伏見区竹田浄菩提院町 |
白河天皇 成菩提院陵
(しらかわてんのう じょうぼだいいんのみささぎ)
白河天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/28 14:17 UTC 版)
白河天皇(しらかわてんのう、1053年7月7日〈天喜元年6月19日)〉-1129年7月24日〈大治4年7月7日〉)は、日本国第72代天皇(在位:1073年1月18日〈延久4年12月8日〉- 1087年1月3日〈応徳3年11月26日〉)。諱は貞仁(さだひと)。
注釈
- ^ この「双六の賽」には近年になって新たな解釈がなされるようになった。「上達しない白河法皇自身の双六の腕前」、あるいは「取り締まりが捗らない双六賭博の流行」だとするものなどである。
出典
- ^ 豊田寛三・後藤宗俊・飯沼賢司・末廣利人 編集 『大分県の歴史』 山川出版社 2011年 ISBN 978-4-634-32441-1、69p
- ^ 『中右記』 天仁元年十月二十八日条
- ^ 美川圭 『白河法皇 中世をひらいた帝王』 角川ソフィア文庫 ISBN 978-4044092047、88p
- ^ 樋口健太郎「保安元年の政変」と鳥羽天皇の後宮」(初出:『龍谷大学古代史論集』創刊号(2018年)/所収:樋口『中世王権の形成と摂関家』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02948-3)
- ^ 高橋秀樹『中世の家と性』p.82
- ^ 『皇胤系図』による。『本朝皇胤紹運録』では「宮子」とする。
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