土田直鎮とは? わかりやすく解説

土田直鎮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 02:52 UTC 版)

土田 直鎮(つちだ なおしげ、1924年1月16日[1] - 1993年1月24日[1])は、日本の歴史学者東京大学名誉教授。元国立歴史民俗博物館長。

来歴・生涯

東京帝国大学文学部を卒業後、史料編纂所に勤務し、「大日本史料 第二篇」の編纂に従事した。専門は日本古代史で、平安時代の貴族社会に関する論考が多い。特に摂関政治期の政治について、当時の通説であった摂関家政所が政治の中心であったとする「政所政治」論を否定して、依然として太政官を中心とした政務が行われていたことを立証したことで知られている。土田の研究方針は、史料を精密に理解するの一言に尽き、後世に名を残すといった功名に基づく研究を嫌っていた。1993年1月24日、国立歴史民俗博物館長在職中のまま、肺炎のため死去[1]

略歴

学歴

職歴

学外における役職

叙勲歴

逸話

1980年4月進学生歓迎会の三次会において、「これから遺言を話す。俺が死んだら紙に書いて国史の研究室に貼っておけ」と語ったという。
一、現代人の心で古代のことを考えてはならない。
二、古代のことは、古代の人の心にかえって考えなくてはならない。
三、俺は長い間、そうしようと思ってやってきたが、結局駄目だった。お前らにできるわけがない。ざまぁみろ。
古代のことを古代人の心で考えるというのは研究者として当たり前の態度であるが、土田ほどの碩学が駄目だったと正直にこぼした意味は深い。また、常々「俺は道長なんかと酒は飲みたくない」と語っていたという[2]

学徒出陣の際は、埼玉県にあった熊谷陸軍飛行学校に見習士官として入校し、教官から「お前たちは消耗品である」という訓示を受け、面会や外出、休暇もなく、家族写真の持ち込みや隊での写真撮影まで禁止される、特攻のための厳しい訓練を受けた。

家族・血縁

兄に「ミスター警視庁」と呼ばれた土田國保元警視総監(1971年12月の土田邸事件で夫人を亡くした)、弟に東京証券取引所社長の土田正顕がいる。

主な著書

  • 『王朝の貴族 (日本の歴史5)』 中央公論社 1965年/中公文庫、改版2004年
  • 『奈良平安時代史研究』 吉川弘文館 1992年 オンデマンド版 ISBN 9784642722575
  • 『平安京への道しるべ 奈良平安時代史入門』 吉川弘文館 1994年
  • 『古代の武蔵を読む』 吉川弘文館 1994年

編纂

記念論集

  • 『奈良平安時代史論集』 土田直鎮先生還暦記念会編 吉川弘文館 1984年

脚注

参考文献

関連人物





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土田直鎮」の関連用語

土田直鎮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土田直鎮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの土田直鎮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS