「政所政治」説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 23:07 UTC 版)
なお摂関政治期の政策決定過程について、一時期「政所政治」説という学説が唱えられていた時期があった。これは戦前に黒板勝美らによって唱えられた説で摂関政治期には摂政・関白が国政の全般を掌握して政所の下文や御教書が天皇の宣旨に替わって機能して太政官に代わって政所で政務が行われ、朝廷は儀式のみを行ったというものである。だが、戦後に入ると土田直鎮らによる批判などがあり、現在では院政初期までは摂政・関白と天皇との間に力関係の差はあっても、両者の協議によって政治判断が行われており、摂政・関白が専断的に政務を取った時期は存在しなかったこと、国政に関する命令は摂関政治全盛期でも宣旨・太政官符による命令系統が機能しており、政所下文及び御教書はあくまで摂政・関白個人の私的あるいは摂関家内部の問題に対してのみ有効な命令文書であったことが明らかとされており、この説は成り立たないと考えられている。
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