「政治団体化の懸念」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:11 UTC 版)
日米安保改定問題などをめぐって国民運動が大きく高揚した1960年代、政治問題に青年団が明確な態度を示すべきだという考え方が青年団内で台頭し始めた。この考え方は、さまざまな思想性を持つ青年の集まりである青年団はあまり高度な政治課題に踏み込むべきではないという考え方と対立し、全国の青年団で問題となった。顕著な例として、1964年(昭和39年)に愛媛県で、1966年(昭和41年)には岡山県で、それぞれ県団執行部が政治的に偏向していることを理由に多くの加盟団(郡市団)が連合組織を脱退、解散もしくは分裂という事態に発展した。地域における青年団のこういった対立は、政治課題の対立が薄れてきている今日においては、青年団組織の弱体化もあいまって収束している。 また、各都道府県組織によって構成されている日本青年団協議会は、沖縄返還運動の促進や非核三原則の法制化を定期大会において決議したり、沖縄米兵による少女暴行事件への抗議等を主催する集会内で緊急決議することがある。加えて、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本社会主義青年同盟、日本民主青年同盟と合同で有事法制反対の街頭宣伝活動を行っているほか、イラク戦争への自衛隊派遣に反対する声明などを常任理事会で決議している。こうした動きに対し特定の政治団体との親密化や政治的思想の偏りを進めるのではないかという懸念の声もある。 青年層組織であるならば、青年層を含む若年層に向けた声明を発表するべきという意見もあるが、日本青年団協議会が時の政策に向けた抗議という形をとっている背景には、青年の声を集約し社会に向けて発信していくことこそ役割であるという考え方による。 日本青年団協議会は機関紙のコラムで「青年団は思想・信条を超えて組織された団体だから、政治的な判断は保留すべきだという考えは、本質を取り違えている。青年団は政党的に中立であっても、政治的に中立であるわけではない」と述べている。青年団の大衆性や網羅性と政治的・社会的態度の明確性という微妙な関係は現在においても課題と言える。
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