「政治将軍」として暗躍とは? わかりやすく解説

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「政治将軍」として暗躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 17:14 UTC 版)

クルト・フォン・シュライヒャー」の記事における「「政治将軍」として暗躍」の解説

1925年5月12日パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領当選すると、その息子オスカー通じてシュライヒャー大統領個人的に影響を及ぼすようになり、ヴァイマル共和国軍更には政界においてその影響力を強めた1926年国軍省内に大臣官房として新設され政務課の課長就任する陸軍統帥部長ゼークトシュライヒャー政治権力拡大抑えつけようとしていたが、1926年10月ゼークト失脚したことでシュライヒャー足枷外れる形となった。 さらに1928年1月にグレーナーがヘルマン・ミュラー内閣国防相となったことがシュライヒャー権力押し上げた。グレーナーは教え子シュライヒャーを「我が養子」と呼ぶほど信頼していた。1929年1月少将昇進。また陸軍海軍の共通の問題の処理、国軍省と他省庁政党との交渉担当する部門として国軍省に大臣官房(Ministeramt)が置かれ官房長シュライヒャー任じられた。彼は「政治将軍」として本格的に暗躍開始する。グレーナーはシュライヒャーを「私の政治担当枢機卿」と称し彼の政治的能力にすっかり依存してしまった。 1929年初頭からシュライヒャーは、ミュラー首相大連立政府ブルジョア右翼政府取り替えるようヒンデンブルク大統領迫っていた。シュライヒャーハインリヒ・ブリューニング目を付け、彼と再軍備財政問題合意しヤング案締結後に彼を首相にするための工作行った結果1930年3月30日ブリューニング内閣成立した1931年7月28日従兄弟未亡人でフォン・ヘニング将軍の娘エリザベート結婚した同年中将に昇進1932年4月13日にブリューニング首相とグレーナー国防相内相は、ヒンデンブルク大統領ナチ党突撃隊親衛隊禁止する命令を出させた。しかし効果薄く4月23日各州行われた地方選挙ナチ党バイエルン州除き全ての州議会第一党躍進した。シュライヒャーブリューニング内閣見限り自分中心とした右翼大連立政権画策してナチ党接触し4月28日5月8日ナチ党党首アドルフ・ヒトラー密会した両者はブリューニングとグレーナーを失脚させること、突撃隊禁止命令解除すること、国会解散すること、国会選挙までは新内閣に寛容をもって臨むことなどで合意したナチ党シュライヒャーはただちにグレーナーの失脚工作開始した5月10日国会で突撃隊禁止命令討議中にナチ党議員団はグレーナーに激し罵倒浴びせ、グレーナーを立往生させ、これによってグレーナーが国会討論大敗北を喫したのような印象世間もたらしたシュライヒャーはこれを利用して「グレーナーは病気」という噂を流して回り恩師であるグレーナーに冷たく辞職勧告したヒンデンブルクやブリューニングにも見捨てられたグレーナーは5月13日国防相辞職内相には留任)に追いやられた。 さらに東プロイセン地主ユンカー層が占める)が管理しきれない土地失業者分配するというブリューニングの政策ユンカーたちが「農業ボルシェヴィズム」と反発したのを機にシュライヒャーヒンデンブルクにブリューニング解任提案したヒンデンブルクはこれに同意し5月29日にブリューニングを呼び出し、「今後右翼政治を行うべし」「労働組合指導者層とは手を切るべし」「農業ボルシェヴィズム根絶すべし」と命じた事実上辞職要求感じたブリューニングは翌5月30日総辞職した

※この「「政治将軍」として暗躍」の解説は、「クルト・フォン・シュライヒャー」の解説の一部です。
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