統帥権
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統帥権(とうすいけん)とは、大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限(最高指揮権[1])のことをいう。
注釈
- ^ 1932年(昭和7年)に陸軍大学校が教本として作成した『統帥参考』(復刻版、田中書店、1983年(昭和58年))には「統帥権ノ独立ヲ保障センカ為ニハ“武官ノ地位ノ独立”ト“其職務執行ノ独立”トヲ必要トス 政治機関ト統帥機関トハ飽ク迄対立平等ノ地位ニ在リテ何レモ他ヲ凌駕スルヲ得サルヘキモノトス」とある。これは統帥権干犯問題の後に作成されたものであるが、「統帥権と行政権の平等性」は軍部の一貫した主張であった。
- ^ 軍政上の、陸軍大臣による帷幄上奏勅令は、軍の制度や規則を規定した軍事の勅令であって、作戦命令や動員命令などは含まれなかった。明治憲法上は第11条の統帥大権ではなく、第12条の編制大権に属する事項であった。参考文献:永井和『近代日本の軍部と政治』 p313
- ^ 軍令の方針が間接的には他国との共同出兵を行った場合には外交(例:シベリア出兵)と、兵力・軍備の配置を巡っては財政(例:二個師団増設問題)とも衝突する可能性があった。
- ^ 大山は日露開戦時の参謀総長、山縣は日露講和時の参謀総長である。
- ^ 新政策の草案は田中の就任前にほぼ原案が完成しており、政党での政治活動の経験が無かった田中は決定に関与していなかったのである。
- ^ 「主力艦(戦艦)」に対しての「補助艦」で巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など。
- ^ ただし、条約での補助艦全体の対米比は6.975であり、0.025少ないだけである。トン数にすると6000トン程度。
出典
- ^ 秦(2006)、11頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 堀茂. “日露戦争までの我が国の制軍関係”. 杏林大学大学院. 2022年7月11日閲覧。
- ^ a b “日露戦争関連用語集 3 組織、制度”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2022年7月11日閲覧。
- ^ 黄文雄『大日本帝国の真実』「統帥権独立」は国を破滅に導いたか 258-262頁
- ^ 秦(2006)、85-92頁。ただしこの逸話は「太平記」にあるため広く知られてはいたが史実性に関しては異論も多い。坊門清忠も参照。
- ^ 以下の出典は、戸部(1998)、159-163頁。
- ^ “第二次外相時代 協調と強硬の狭間”. 外務省. 2022年7月11日閲覧。
- ^ 「現代史資料」みすず書房
統帥
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寺本は海軍大学校の教官として甲種24期から39期(29期を除く)を担当し、戦後も海上自衛隊幹部学校で指導にあたった。寺本が長きに渡り海軍最高学府の教官であったのはその『統帥』理論を評価されたもので、楠木正成、山岡鉄舟の無刀流、神道、儒学、仏教、基督教、回教などを研究し独特の統帥学を創りあげた。また「闘戦経」や「猫の妙術」を授業に使用している。 講義には次のような内容があった。 「軍人勅諭に『心だに誠あらば何事もなるものぞかし』とあるが、その誠に限界は無いのか?」 「『天壌無窮』は諸行無常の宇宙の法則の圏外に位置するものか?」 戦前の軍の最高学府でこうした設問に接した学生には敬遠するものもあったが、高木惣吉や源田實などの学生に強い印象を残した。
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