山梨半造とは? わかりやすく解説

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山梨半造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 15:43 UTC 版)

山梨やまなし 半造はんぞう
山梨 半󠄁造󠄁
生年月日 1864年4月6日
元治元年3月1日
出生地 日本相模国大住郡下島村
(現:神奈川県平塚市下島)
没年月日 (1944-07-02) 1944年7月2日(80歳没)
死没地 日本神奈川県鎌倉市
出身校 陸軍大学校卒業
前職 陸軍軍人
称号 陸軍大将
正三位
勲一等旭日大綬章
功二級金鵄勲章
親族 山梨安兵衛(父)
田村怡与造(義父)
本間雅晴(義弟)

第4代 朝鮮総督
在任期間 1927年12月10日 - 1929年8月17日

第15代 陸軍大臣
内閣 原内閣
高橋内閣
加藤友三郎内閣
在任期間 1921年6月9日 - 1923年9月2日
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山梨 半造(やまなし はんぞう、旧字体山梨 半󠄁造󠄁1864年4月6日元治元年3月1日) - 1944年昭和19年)7月2日)は、日本陸軍軍人政治家

陸軍大臣(第15代)、朝鮮総督(第4代)を歴任した。最終階級は陸軍大将栄典正三位勲一等功二級

略歴

山梨半造による碑文が書かれた尼港殉難者記念碑

相模国大住郡下島村(現在の神奈川県平塚市下島)にて山梨安兵衛の二男として出生。耕余塾卒業後、1886年明治18年)6月、陸軍士官学校(旧8期、士官生徒8期)を卒業、歩兵少尉に任官し歩兵第5連隊付となる。1892年(明治24年)12月、陸軍大学校(8期)を卒業、恩賜の軍刀を拝受した。

日清戦争に歩兵第4旅団副官として出征し歩兵第5連隊中隊長第2軍副官、占領地総督部副官を歴任し帰国した。参謀本部第4部員、兼陸大教官、ドイツ駐在、陸大教官などを経て日露戦争時には第2軍参謀として出征し同軍参謀副長、第3師団参謀長を歴任した。

オーストリア公使館付、ドイツ大使館、陸大幹事、歩兵第51連隊長などを経て1911年(明治44年)9月、陸軍少将に進級。歩兵第30旅団長、歩兵第1旅団長、参謀本部総務部長などを歴任し第一次世界大戦において独立第18師団参謀長として青島に出征、その軍功により功二級を賜る。教育総監部本部長などを経て1916年大正5年)5月、陸軍中将に昇進し陸軍次官、兼航空局長官を歴任。

1921年(大正10年)10月、原内閣の陸軍大臣となり同年12月に陸軍大将に進級し高橋内閣加藤友三郎内閣にも留任。1922年(大正11年)8月と翌年4月の2度にわたり陸軍史上初の軍縮(「山梨軍縮」)を実行。

軍事参議官を経て、関東大震災に伴い福田雅太郎司令官の後任として関東戒厳司令官に就任した。東京警備司令官、軍事参議官を経て1925年(大正14年)5月25日[1]予備役編入される。 その後、陸軍機密費横領問題を通じ、田中義一とともに告発されるが、1926年(昭和元年)12月27日に不起訴処分となる[2]

1927年(昭和2年)12月10日に朝鮮総督となった。その直後、立憲民政党により米穀商が京城に取引所を開設するために山梨の側近を通じて5万円(当時)を贈賄したとする朝鮮総督府疑獄が暴露され辞任。米穀商と側近は執行猶予つきの有罪、山梨本人は無罪となった。

1934年(昭和9年)4月に退役。1944年(昭和19年)、神奈川県鎌倉市の自宅にて死去。享年81。墓所は東京都杉並区永福築地本願寺和田堀廟所

栄典

位階
勲章等

家族親族

脚注

  1. ^ 『官報』第3825号「叙任及辞令」1925年5月26日。
  2. ^ 機密費事件は証拠不十分で不起訴に決定『東京朝日新聞』昭和元年12月28日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p380-381 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 『官報』第1034号「叙任」1886年12月9日。
  4. ^ 『官報』第2571号「叙任及辞令」1892年1月28日。
  5. ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
  6. ^ 『官報』第5304号「叙任及辞令」1901年3月12日。
  7. ^ 『官報』第6422号「叙任及辞令」1904年11月25日。
  8. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  9. ^ 『官報』第8502号「叙任及辞令」1911年10月21日。
  10. ^ 『官報』第1158号「叙任及辞令」1916年6月12日。
  11. ^ 『官報』第658号「叙任及辞令」1921年6月11日。
  12. ^ 『官報』第3259号「叙任及辞令」1923年6月12日。
  13. ^ 『官報』第3888号「叙任及辞令」1925年8月8日。
  14. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  15. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  16. ^ 『官報』第770号「敍任及辞令」1915年2月27日。
  17. ^ 『官報』第1067号「叙任及辞令」1916年2月24日。
  18. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  19. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

外部リンク

公職
先代
田中義一
陸軍大臣
第27 - 29代:1921年6月9日 - 1923年9月2日
次代
田中義一
先代
宇垣一成
朝鮮総督
第4代:1927年12月10日 - 1929年8月17日
次代
斎藤実
軍職
先代
福田雅太郎
関東戒厳司令官
第2代:1923年9月20日 - 同11月16日
次代
廃止
先代
新設
東京警備司令官
初代:1923年11月16日 - 1924年8月20日
次代
菊池慎之助

山梨半造(陸士旧8期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)

駐在武官」の記事における「山梨半造(陸士8期)」の解説

駐墺公使館付武官経て駐独大使館付武官となる。後に陸軍大将

※この「山梨半造(陸士旧8期)」の解説は、「駐在武官」の解説の一部です。
「山梨半造(陸士旧8期)」を含む「駐在武官」の記事については、「駐在武官」の概要を参照ください。

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