りくぐん‐しかんがっこう〔‐シクワンガクカウ〕【陸軍士官学校】
陸軍士官学校
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陸軍士官学校(りくぐんしかんがっこう、ドイツ語: Haupt-Kadettenanstalt、Heeresoffizierschule、英語: Military Academy)とは、陸軍の士官を養成するための学校である。士官は下士官兵と異なり、特別の権限・責務を有しているため、特にこれを教育するための学校として設けられている。
中華民国や満洲国では「陸軍軍官学校」と、大韓帝国では「陸軍武官学校」といわれた。
日本の陸軍士官学校
- 陸軍士官学校 (日本)
- 陸軍航空士官学校
- 陸軍予備士官学校 (日本)
- 陸上自衛隊幹部候補生学校 - 1954年(昭和29年)7月5日に福岡県久留米市高良内町2728に開校される。
日本では当初は兵学校、兵学所、兵学寮といった用語も用いられていたが、後に「陸軍士官学校」と称されるようになり、日本以外の各国における同様の学校についても「陸軍士官学校」の訳語が用いられるようになった。第2次世界大戦後の陸上自衛隊では「士官」に代わって「幹部自衛官」の語が用いられていることから、陸軍士官学校に相当する学校を「幹部候補生学校」と呼称している。現在も前述の福岡県にある施設が日本の士官養成アカデミーとして機能しており、国際的にも士官学校を意味する英語で呼称されている。
世界の陸軍士官学校
アジア
- スリランカ:陸軍士官学校
- ベトナム:クァンガイ陸軍中学校(ベトナム、1946年 - )
- タイ王国:チュラチョームクラオ陸軍士官学校(1887年 - 現在)
- 大韓帝国:陸軍武官学校( - 1909年)
- 大韓民国:陸軍士官学校(大韓民国、1951年 - 現在)
- 中華民国:保定陸軍軍官学校(1912年頃 - 1923年頃)
- 中華民国:黄埔軍官学校(1924年 - 国共内戦)
- 中華民国:陸軍軍官学校(1950年 - 現在)
- 満洲国:陸軍軍官学校(1939年 - 1945年)
アメリカ
ヨーロッパ
- イギリス:王立陸軍士官学校(1741年 - 1939年)
- イギリス:サンドハースト王立陸軍士官学校(イギリス、1947年 - 現在)
- ウクライナ:オデッサ陸軍士官学校
- フランス:サン・シール陸軍士官学校(フランス、1802年 - 現在)
- オーストリア:テレジア陸軍士官学校(オーストリア、1751年 - 現在)
- ドイツ:ドイツの陸軍幼年学校の歴史(ドイツ語)
- ドイツ:プロイセン陸軍幼年学校ベルリン・リヒターフェルデ(ドイツ語)
- ドイツ:プロイセン陸軍士官学校
- リトアニア:リトアニア・ヨナス・ジェマイティス将軍軍事アカデミー(リトアニア、1994年 - 現在)
- ロシア:トゥーラ・スヴォーロフ陸軍士官学校(ロシア、1944年 - 1960年、2016年 - 現在)
関連項目
陸軍士官学校
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「将校志望を断念した日本の人物の一覧」の記事における「陸軍士官学校」の解説
梶山静六 - 陸軍航空士官学校第59期。政治家。「軍人」と評された。 飯尾憲士 - 第60期。作家。朝鮮系 近岡理一郎 - 第59期。政治家 中條高徳 - 第60期。実業家 平田昭彦 - 第60期。俳優 佐藤晃 - 第61期。戦史家 多羅間俊彦 - 第61期。
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「陸軍士官学校」の例文・使い方・用例・文例
陸軍士官学校と同じ種類の言葉
学校に関連する言葉 | 学校(がっこう) 小学校(しょうがっこう) 陸軍士官学校(りくぐんしかんがっこう) 養成学校 高等水産学校(こうとうすいさんがっこう) |
教育機関に関連する言葉 | 舎密局 郷校 開成所 陸軍士官学校(りくぐんしかんがっこう) 陸軍大学校 |
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