しかん‐がっこう〔シクワンガクカウ〕【士官学校】
読み方:しかんがっこう
「陸軍士官学校」の略。
士官学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/10 19:15 UTC 版)
士官学校(しかんがっこう、英語: military academy, service academy)とは、軍隊の士官(将校)を養成する軍学校。
近代の日本においては、戦前は、帝国陸軍の陸軍士官学校・陸軍航空士官学校、帝国海軍の海軍兵学校が主に該当する。戦後の自衛隊においては、防衛大学校、および陸上・海上・航空の各幹部候補生学校が主に該当する。同じく戦後の海上保安庁においては海上保安大学校が該当する。
軍隊組織を採るキリスト教会の救世軍も、士官(牧師)を養成する神学校を救世軍士官学校と称している。
日本の士官学校
大日本帝国軍
自衛隊
各国の士官学校
アメリカ合衆国
イギリス
イタリア
- モデナ陸軍士官学校
- リヴォルノ海軍兵学校
- ポッツオーリ空軍士官学校
- ヌンツィアテッラ陸軍学校
- フランチェスコ・モロジーニ海軍学校
- ジュリオ・ドゥーエ空軍学校
オーストラリア
大韓民国
中華民国(台湾)
ドイツ
- 陸軍士官学校(Offizierschule des Heeres)
- ミュルヴィク海軍兵学校(Marineschule Mürwik)
- 空軍士官学校(Offizierschule der Luftwaffe)
- 連邦軍大学(Universität der Bundeswehr)
- ミュンヘン連邦軍大学(Universität der Bundeswehr München)
- ヘルムート・シュミット大学(Helmut-Schmidt-Universität)
- 連邦軍指揮幕僚大学校(Führungsakademie der Bundeswehr)
フランス
ミャンマー
関連項目
士官学校
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「カール・フォン・クラウゼヴィッツ」の記事における「士官学校」の解説
クラウゼヴィッツは少尉に任官した15歳からの6年間をノイルピーンで過ごす。当時の連隊長の考課表によれば、有能かつ熱心、頭脳明晰で好奇心旺盛と評価されている。そこで連隊長は1801年にクラウゼヴィッツをベルリンの士官学校に送った。そこで後に「父でもあり、心の友であった」と評するシャルンホルスト中佐のもとで軍事学を学ぶ機会を得ただけでなく、シャルンホルストが非公式に設置した軍事学会に入会することができた。この学会は論文の審査によって入会が許され、時事的な軍事問題の解決や国防意識の発揚のための学術的な研究団体として組織された。クラウゼヴィッツはこの学会で学術研究の様式を習得し、数学、論理学、地理学、歴史学、文学の一般教養と軍事学の専門知識を深め、1803年に学校を首席で卒業した。卒業後はシャルンホルストの推薦もあって軍事学会の会員でもあったアウグスト親王が指揮する近衛大隊に副官として勤務することになった。クラウゼヴィッツは半年間の試験採用期間を経て正式に副官となってからは宮廷社会に入るようになる。この時期にクラウゼヴィッツはシラーの文学に親しみ、マキアヴェリやモンテスキューの著作を読み、カント哲学の講義にも出席している。後に詳述するマリー・フォン・ブリュールと知り合ったのもこの頃で、1805年に婚約している。
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「士官学校」の例文・使い方・用例・文例
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