士官候補生制度採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:24 UTC 版)
「陸軍士官学校 (日本)」の記事における「士官候補生制度採用」の解説
1887年(明治20年)にドイツ(プロシア)式の士官候補生制度になる。1889年(明治22年)に第1期生が入校する。士官候補生は陸軍幼年学校及び旧制中学校出身者からなり、指定された連隊や大隊(これを原隊という)で下士官兵(一等兵又は上等兵から始まる)として隊付勤務(隊附勤務)を経た後に、士官学校に入校する。下士官兵としての隊付勤務を経る点が海軍兵学校(海軍の同様の現役兵科将校養成機関)と大きく異なる。 中学校出身者は、12月に士官候補生たる一等兵として入隊し、翌年6月に上等兵に昇進する。幼年学校出身者は、中学校出身者が上等兵となるのと同時に上等兵として入隊する。8月に伍長となり、12月に軍曹となる。軍曹に昇任すると同時に、陸軍士官学校に生徒として入校する。士官学校を卒業すると曹長に進級し、見習士官となって原隊に復帰する。半年ほどで、原隊の将校団の推薦(伝統の建前)により少尉に任官するという建前になっていた。 1896年(明治29年)5月15日、陸軍中央幼年学校条例及び陸軍地方幼年学校条例が制定され、陸軍中央幼年学校を東京に1校、陸軍地方幼年学校を仙台、東京、名古屋、大阪、広島、熊本の各地方に設立した。これにより、狭義の幼年学校出身者は地方幼年学校にて3年間を、地方幼年学校卒業後に中央幼年学校に入校して2年間を学ぶこととなり幼年学校生徒の関係が深まると共に、幼年学校出身者と中学校出身者との間に区別意識が強くなったとされる。新制度の中央幼年学校出身者は陸士15期以降である。 1903年(明治36年)6月29日、陸軍中央幼年学校と東京陸軍地方幼年学校の合併のため、陸軍中央幼年学校条例を全部改正し陸軍地方幼年学校条例を一部改正、従来の陸軍中央幼年学校を陸軍中央幼年学校本科に、東京陸軍地方幼年学校を陸軍中央幼年学校予科とした。 1909年(明治42年・隆熙3年)に制定された大韓帝国の勅令「軍部廃止、親衛府新設及之ニ附帯スル件」第3条により、大韓帝国軍の陸軍武官学校は廃止されることが決まり、韓国陸軍武官の養成は韓国の委託により日本の陸軍士官学校で行われることとなる。
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