大日本帝国陸軍
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大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝󠄁國陸軍、英語: Imperial Japanese Army、IJA)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本に存在していた軍隊組織である。通称は日本陸軍、帝国陸軍、陸軍。
注釈
- ^ 航空総監以下、幹部は1910年代から存在する陸軍航空本部幹部を兼ねる
- ^ 警察庁は単に『扶桑歌』または『分列行進曲』という名称で行進曲に使用している
- ^ 陸軍歯科医将校の最高階級は、陸軍歯科医少将であった[9]。
- ^ 陸軍憲兵上等兵に関しては、警察官巡査との均衡から判任官待遇を受けている
- ^ 卒業時に士官候補生たる上等兵となる
- ^ 1940年(昭和15年)に新設された兵長のみ昭和15年制式
- ^ 在学徴集猶予の制度、1943年に大学院特別研究生と理工系および教員養成学校在学者の入営延期に改められ文科系学生には猶予が撤廃された
- ^ のちの方面軍は編成されておらず、総軍が軍を直接隷属した
- ^ 服部卓四郎からの勧めで東條英機の娘、東條光枝と結婚
- ^ a b c d e 服部機関出身者
- ^ 山本智之は加藤を第1師団長としているが、正しくは第13師団長なので注意
- ^ 山本智之は竹下の最終ポストを第4師団長としているが、正しくは陸上自衛隊幹部学校長なので注意
- ^ a b c 宮城事件に関与
出典
- ^ 陸軍次官山田隆一 『英国皇帝陛下ニ付祝電並御答電ノ件』1918年2月26日、アジア歴史資料センター (JACAR)、Ref.C02030531300
- ^ 外務大臣牧野伸顕『15.英国ニヨリ四十四年式騎兵銃寄贈ノ件』1913年8月29日、アジア歴史資料センター、Ref.B07090270800
- ^ a b 「昭和十二年勅令第十二号陸軍武官官等表ノ件〇昭和六年勅令第二百七十一号陸軍兵等級表ニ関スル件ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A02030204100、公文類聚・第六十四編・昭和十五年・第六十二巻・官職六十・官制六十・官等俸給及給与(外務省~旅費)(国立公文書館)
- ^ 「昭和十五年勅令第五百八十号陸軍武官官等表ノ件中ヲ改正ス・(陸軍法務官並ニ建築関係ノ技師ヲ武官トスル為及衛生将校等ノ最高官等ヲ少佐マテ進メル為)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03010029300、公文類聚・第六十六編・昭和十七年・第五十七巻・官職五十三・官制五十三官等俸給及給与附手当二(国立公文書館)
- ^ a b 「昭和十五年勅令第五百八十号陸軍武官官等表ノ件外七勅令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A14101207600、公文類聚・第六十八編・昭和十九年・第三十七巻・官職三十七・官制三十七・官等俸給及給与手当一(国立公文書館)
- ^ a b 「御署名原本・昭和二十年・勅令第二九五号・昭和十五年勅令第五百八十号陸軍武官官等表ノ件外十勅令中改正ニ関スル件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017740300、御署名原本・昭和二十年・勅令第二九五号・昭和十五年勅令第五百八十号陸軍武官官等表ノ件外十勅令中改正ニ関スル件(国立公文書館)
- ^ a b 「陸軍武官官等表等を廃止する勅令を定める」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13110684400、公文類聚・第七十編・昭和二十一年・第三十七巻・官職二十八・俸給・給与二・内閣・外務省・内務省~任免一(国立公文書館)(第1画像目から第5画像目まで)
- ^ a b 「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基き陸軍刑法を廃止する等の政令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13110917200、公文類聚・第七十二編・昭和二十二年五月三日以降・第六十九巻・法務四・民事三~雑載(国立公文書館)(第1画像目から第14画像目まで)
- ^ “戦時下の歯科医学教育 第2編 軍医学校と歯科委託生およ び歯科医将校制度と戦線での歯科医師(歯科学報, 120(2): 119-156)” (PDF). 東京歯科大学. 2022年3月3日閲覧。
- ^ 「昭和十五年勅令第五百八十一号陸軍兵等級表ニ関スル件中ヲ改正ス・(憲兵上等兵ノ階級新設ノ為)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03010030200、公文類聚・第六十六編・昭和十七年・第五十七巻・官職五十三・官制五十三官等俸給及給与附手当二(国立公文書館)
- ^ 郷土の偉人研究会 (2012年10月3日). “「陸軍の父」”. 株式会社ダイヤモンド社. 2017年6月18日閲覧。
- ^ “歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ―靖国神社周辺」 大村益次郎”. 学習研究社. 2017年6月18日閲覧。
- ^ アメリカ陸軍省編 外間正四郎訳『沖縄 ― 日米最後の戦闘』光人社、2006年(新装版)
- ^ 『岩波講座 アジア・太平洋戦争〈7〉支配と暴力』 岩波書店 p.412
- ^ 『岩波講座 アジア・太平洋戦争〈7〉支配と暴力』 岩波書店 p.410
- ^ a b c 秦郁彦 『史録 日本再軍備』 文藝春秋 p.44
- ^ 井本によれば「自衛隊内での人的関係は良好であったが、内局文官との関係は極度のマイナス状態であった」という。
- ^ 軍事史学会編 『軍事史学』 第39巻 第4号 p.93
- ^ 山本智之 『日本陸軍 戦争終結過程の研究』 芙蓉書房出版 p.248
- ^ a b c d e f 朝日新聞 昭和30年(1955年) 9月24日
- ^ a b c 軍事史学会編 『軍事史学』 第39巻 第4号 p.97
- ^ a b c 山本智之 『日本陸軍 戦争終結過程の研究』 芙蓉書房出版 p.266-268 など
- ^ 『原四郎 追悼録』 原四郎追悼録編纂刊行委員会 p.15
- ^ 当該部分の全文は「下村定#帝国議会答弁」を参照。
- 1 大日本帝国陸軍とは
- 2 大日本帝国陸軍の概要
- 3 名称
- 4 兵器
- 5 軍閥
- 6 脚注
旧日本陸軍
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明治の最初期から昭和の太平洋戦争直前まで、旧日本陸軍の将校准士官が正装・礼装時に着用する正衣(大礼服)の正帽の天井には、金線(銀線)で五芒星が刺繍されていた。また陸軍軍属においても、親任官以下全ての陸軍軍属が着用する軍属従軍服(軍属服)では、五芒星を模した臂章が制式(昭和18年制)であったほか、平服着用時に佩用するバッジ型(七宝製)の徽章でも五芒星が使われていた。その起源や意味についてははっきりしない。桜花の萼(がく)の形を模しているとも、弾除け(多魔除け)の意味をかついで採用されていたとも言われている。一説には西周が導入したとも言われる。(注:旧日本陸軍の多用した、中の五角形のない「星章」とは別。)
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旧日本陸軍
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明治3年9月18日太政官布達第604号を以て兵部省に設けられた、陸海軍大将乃至陸海軍權曹長の11等級の10番目として陸軍曹長及び海軍曹長が設けられたのが最初である。これらは四等官に倣って官位と分掌事務がセットとなった職員の等級であったが、明治6年5月8日太政官布達第154号による官等表改正で軍人の階級呼称として引き続き用いられ、西欧近代軍の階級呼称の序列に当てはめられることとなった。 大日本帝国陸軍では、曹長は特務曹長、軍曹、伍長と合わせて下士官のひとつである。同期兵は伍長から軍曹には同時に進級できたが、軍曹から曹長への進級には個人差があった。官吏の等級では、判任官二等にあたる。 日本軍の階級も参照。
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