元帥杖とは? わかりやすく解説

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元帥杖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/21 16:06 UTC 版)

ドイツ帝国時代の元帥杖、1895年製

元帥杖(げんすいじょう、英語: marshal's batonドイツ語: Marschallstab)は、元帥が佩用する、その地位・名誉を表章するバトン。なお、本項では類似の権威表章物についても記載する。

概要

ローマ帝国時代の軍司令官(レガトゥス)は短いバトンを皇帝より授けられ、これを頭の上に掲げて皇帝の意思を表した。その流れから短いバトンが軍司令官の権威を示すようになり、ルネサンス期頃から古式の復活としてヨーロッパ各地において用いられた。当初は長くなめらかな木の棒だったが、徐々に金属細工などで豪華なつくりになっていった。長さは和訳から想像されるほど長くはなく、大体50cm前後である。ナチス・ドイツ国防軍の場合は、元帥杖の他に略式元帥杖が設定されており、普段はこちらを用いていた。こちらの長さは約75cmである(カイテル元帥画像参照)。先端部分には派手な装飾はなされず、その点が王笏とは異なる。

手に持つ階級章ともいえる元帥杖だが、全ての国の元帥が所有しているわけではなく、中には元帥号はあっても元帥杖が存在しなかったり、元帥杖とは違う物が与えられたりすることもある。前者の代表国はアメリカ合衆国で、後者の代表はポーランドである。古くから元帥、もしくはそれに相当する称号階級の伝統を持つ国家では今も元帥杖が存続している事が多い。

アメリカの元帥は比較的新しく、第二次大戦中にイギリスとの共同作戦上元帥が存在しないことが運用上不都合を生じるため創られた、まさに実用性だけの階級のため極端な権威付けが必要なく元帥杖なども造られなかった。ポーランドではバトンではなく、メイスが元帥の象徴として用いられた。

ブラヴァ

ブラヴァを佩用する大元帥ヤン・ザモイスキの肖像

ポーランドで元帥に授与されたメイスブラヴァ英語版(ブワヴァ)と呼ばれ、現在でも元帥の記章にはブラヴァがデザインされている。これは指揮杖が元となっており、歴史的にはポーランド=リトアニア共和国コサック国家ヘーチマンが手にした。ブンチュークなどとともにウクライナ・コサックではレガリアとして扱われ、現在のウクライナの大統領旗にも用いられている。

元帥星章

ネクタイの上に元帥星章を佩用するドミトリー・ヤゾフ元ソ連邦元帥、2009年11月3日

ロシア帝国の元帥には他のヨーロッパ諸国と同じように元帥杖が与えられたが、革命後のソビエト連邦で元帥級以上の階級にある軍人には、プラチナの台座にダイヤモンドが埋め込まれた元帥星章英語版が授与された。階級に応じて二種類の勲章があり、それぞれ「大型」および「小型」元帥星章と呼ばれた。星章は授与されたものが死去または降等すると勲章を管理するダイヤモンド基金英語版に返還され、新たに進級した元帥が再使用することになっていた。

大型元帥星章は1940年に制定され、最初はソ連邦元帥に、1955年からはソ連邦海軍元帥にも授与された。星章の形状は五芒星で、金の台座の上に小型のプラチナ製五芒星が載り、そこにダイヤモンドが星形に埋め込まれている。また、五芒星の光芒の間には小さな金の台座に乗ったダイヤモンドがひとつずつ置かれている。星章の頂点のひとつからは金でできた三角形の鳩目が伸び、鳩目に通された楕円形の鈕に雲紋の綬を通して佩用する。

小型元帥星章はそれぞれ開始時期は異なるが、陸軍上級大将兵科元帥海軍元帥に授与された。兵科元帥の一つ上の階級である兵科総元帥についての規定は正式に設けられていないが、各兵科の総元帥たちは自分が兵科元帥だったころの小型星章を佩用していた。こちらも五芒星で金の台座の上とプラチナの台座の上に星形にダイヤモンドがしきつめられ、大型星章と同じように楕円形の鈕に綬を通して佩用する。

ソビエト連邦の崩壊後に兵科総元帥および兵科元帥の階級は廃止されたが、ソ連時代にこれらの階級に進んだことで元帥星章を受章した者も、章を手元に保管してもよいとされた。ロシア連邦でも星章が授与されることになっていたが、1997年に制度が廃止され、新規授与者はなくなった。もっとも、それ以前に元帥星章を授与された者については廃止後にもこれを佩用している姿が確認されている。

元帥刀(日本)

元帥刀を佩用する元帥陸軍大将閑院宮載仁親王

1919年8月29日制式以降、帝国陸軍海軍では、元帥府に列せられた元帥陸軍大将及び元帥海軍大将には元帥刀(元帥佩刀)が与えられていた(下賜)。拵(外装)は陸海軍大将以下、将校准士官が佩用する日本刀仕込みのサーベル、又は陣太刀をアレンジした一般的な制式軍刀とは異なり、毛抜形太刀を模し[1]絢爛豪華で、刀身のハバキ元や鞘や金具には菊花紋章が施されている[2]。刀身は古来より御物の「小烏丸」造り。殺傷能力のある本身仕込みではあるが、一般の軍刀と違い元より実用性は考慮されていない。

元帥刀を作刀した主な刀工には月山貞一堀井俊秀といった名匠がおり、また元帥刀作刀を拝命される事は刀工として最高の栄誉とされていた。

西洋各国軍と異なり杖でなく刀なのは、単に日本(東洋)と西洋との風習文化の違い、将校軍刀の存在、元帥が昔からの官職でないこと、また特に古来の武士や将軍が地方征討などの際には、節刀を授けられたことに由来すると思われる。

元帥刀の形状は、太古の太刀のように、ツカには護拳が無く、全長3尺2寸。鞘の両面に5対の十六八重表菊花紋の彫金菊花章があしらわれる。その他の細部とその装粧はいずれも金色であるが、縁頭(鳩目には銀の菊座を有する)、鍔(銀の小切羽を有する)、目貫、目釘(銀の菊座を有する)、坂板、芝引、帯取(銀の褥座2個を付す)、胴輪および鐺である。刀緒は紫革丸紐で金具は金色、刀帯は黒革で金銀縞織線が縫著され金具は金色。刃長は刀匠と時代によって最大2寸の差異があり、金工師の手彫りによる金具の菊花模様にも差異が認められる。

作刀された元帥刀は陸海軍両元帥総計30名に対し同じく30振、現存する元帥刀としては、井上良馨佩用刀(海上自衛隊第1術科学校教育参考館蔵)、武藤信義佩用刀(靖国神社遊就館[3])、寺内正毅寺内寿一各佩用刀(陸上自衛隊山口駐屯地防長尚武館蔵[4])、島村速雄佩用刀(戦災で外装消失し修復刀身のみ柳川藩主立花邸御花蔵)、畑俊六佩用刀(會津藩校日新館に展示後、所有者に返還)などの所在が確認されている[5]

有栖川宮威仁親王東伏見宮依仁親王、島村速雄、山本五十六古賀峯一の元帥刀は没後追贈。

大元帥刀

大日本帝国憲法下の天皇は陸海軍の最高指揮官であり、1882年制定の軍人勅諭において「朕は汝等軍人の大元帥なるぞ」と明記され、陸海軍大元帥と定められた。天皇は陸軍/海軍大元帥の正装を着用の際、大元帥刀(大元帥佩刀)を佩用した。意匠は元帥刀同様、刀身は御物「小烏丸」を、外装は毛抜型太刀を模すが、鞘には7対の十六八重表菊花紋の彫金をあしらう。

1906年ごろ調製。刀工は二代目月山貞勝。皇居三の丸尚蔵館蔵。

1915年即位礼に際し調製。刀工は帝室技芸員二代目月山貞一。皇居三の丸尚蔵館蔵。

1934年の「大元帥陛下新御佩刀」制定に伴い調製。刀工は日本刀鍛錬会主任の宮口靖廣。拵は刀剣商の小松崎茂助が謹作。皇居三の丸尚蔵館蔵。

意匠としての元帥杖

イギリスや戦前のドイツ軍の軍服では、X字形に交差させた元帥杖の図案が元帥の肩章など階級章に用いられている。

脚注

  1. ^ "元帥刀 Marshal sword" - 2016年12月27日閲覧。
  2. ^ 太刀拵えを模したとも、平安の六衛の拵えを模したともいわれている。
  3. ^ 遊就館で展示
  4. ^ 同駐屯地資料館「防長尚武館」で展示。刀身は期間限定展示、拵は常設展示
  5. ^ 読売新聞2008年1月15日

関連項目




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