かた‐じるし【肩▽章】
けん‐しょう〔‐シヤウ〕【肩章】
肩章
肩章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:39 UTC 版)
「制服 (ナチス突撃隊)」の記事における「肩章」の解説
1933年以後、突撃隊では肩章が導入された。この肩章は親衛隊と同様の形状であり、配色は各管区ごとの配色をとっていた。肩章は兵・下士官、尉官、佐官、将官と4等分され、右肩のみに着用した。1939年頃より、肩章の形状が陸軍型の肩章と類似したものに変更され、両肩に肩章が取り付けられるようになった。 1939年以前の肩章 1943年の肩章(下段) SA兵卒の肩章(1938年) 管区集団肩章管区集団肩章SA最高指導部(Oberste SA-Führung) SA管区集団幕僚(SA-Gruppenstab) オストラント(SA-Gruppe Ostland) ヴェストファーレン(SA-Gruppe Westfalen) ニーダーライン(SA-Gruppe Niederrhein) ベルリン=ブランデンブルク(SA-Gruppe Berlin=Brandenburg) オストマルク(SA-Gruppe Ostmark) ポンメルン(SA-Gruppe Pommern) テューリンゲン(SA-Gruppe Thüringen) ニーダーザクセン(SA-Gruppe Niedersachsen) ヴェストマルク(SA-Gruppe Westmark) ノルトマルク(SA-Gruppe Nordmark) ザクセン(SA-Gruppe Sachsen) ミッテ(SA-Gruppe Mitte) ジュードヴェスト(SA-Gruppe Südwest) フランケン(SA-Gruppe Franken) シュレージェン(SA-Gruppe Schlesien) バイエリッシェ=オストマルク(SA-Gruppe Bayerische=Ostmark) ホッホラント(SA-Gruppe Hochland) ノルトゼー(SA-Gruppe Nordsee) クルプファルツ(SA-Gruppe Kurpfalz) ハンザ(SA-Gruppe Hansa) ヘッセン(SA-Gruppe Hessen) ドナウ(SA-Gruppe Donau) アルペンラント(SA-Gruppe Alpenland) SA『フェルトヘルンハレ』衛兵連隊(SA-Standarte "Feldherrnhalle")
※この「肩章」の解説は、「制服 (ナチス突撃隊)」の解説の一部です。
「肩章」を含む「制服 (ナチス突撃隊)」の記事については、「制服 (ナチス突撃隊)」の概要を参照ください。
肩章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 09:38 UTC 版)
肩章は「陸軍服制」(大同元年12月28日軍令第9号)中の「肩章様式表」で制定された。当初は地質が徽章絨緋絨で、線章は銀地に金線、星章は金属星章(兵は黄色絨星章)だったが、1937年(康徳4年)の陸軍服制中改正ノ件(康徳4年5月12日勅令第85号)で、地質が濃鳶色絨(中国語表記では深紫紅色)に改正された。大元帥たる満洲国皇帝の肩章は「陸軍式及海軍式御服制式」(康徳元年12月24日帝室令第15号)で、金色金属製蘭花紋章及び金色金属製星章各3個を附す(通常礼装の場合)、天皇の大元帥肩章(金色菊花紋章及び金色星章各3個)と同様式で制定された。 区分皇帝軍官将官校官尉官位階大元帥上将中将少将上校中校少校上尉中尉少尉肩章 区分軍士兵准尉官下士官位階准尉上士中士少士上兵中兵少兵肩章
※この「肩章」の解説は、「満洲国軍」の解説の一部です。
「肩章」を含む「満洲国軍」の記事については、「満洲国軍」の概要を参照ください。
肩章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:00 UTC 版)
「制服 (ナチス親衛隊)」の記事における「肩章」の解説
SSにおいて肩章は1933年5月に導入されたものである。黒服の肩章は右肩にしかついてなかったが、SS特務部隊や武装SSの野戦服、一般SSのグレーの制服には両肩に肩章が付いていた。 基本的にSSでは細かい階級は襟章で示した。肩章は下士官兵卒、下級将校(尉官)、上級将校(佐官)、将官という大雑把な区別をする物だった。しかし1938年3月にSS特務部隊(武装SS)では陸軍と同じ肩章が導入され、肩章でも階級を表すようになった。一般SSは従来の肩章を使用し続けたが、やがて一般SSでも陸軍型の肩章を使用する者が増えた。 また武装SSの肩章には所属部隊が分かるような徽章も入れられていたが、これは1943年10月のヒムラーの決定により廃された。SDや保安警察の所属者には警察型の肩章を使用している者も見られる。 前の運転席に座るSD兵が一般SS下士官兵卒用の肩章を着用。SD少尉やSD下士官たちは陸軍型肩章を使用(1939年9月ポーランド) 一般SSの将官肩章(1934年SD長官ラインハルト・ハイドリヒSS少将) 大戦の初期に見られた陸軍型の制服に一般SSの将官型肩章を用いた例。(1940年LSSAH師団長ヨーゼフ・ディートリヒ(左)) ライトブラウンのパイピングがなされた下士官・兵卒用の陸軍型肩章。ライトブラウンは強制収容所勤務であることを示す。また星の数から親衛隊上級曹長である事が分かる。 ゴールデンイエローのパイピングがなされた尉官の陸軍型肩章。ゴールデンイエローは騎兵科であることを示す。また星の数から親衛隊中尉である事が分かる。 カーマインレッドのパイピングがなされた佐官の陸軍型肩章。カーマインレッドは獣医であることを示す。蛇のマークも獣医であることを示す。また星がないため親衛隊少佐である事が分かる。 金色と灰色の金属糸が編み込まれた表面の将官用の陸軍型肩章。星の数から親衛隊上級大将の肩章と分かる。
※この「肩章」の解説は、「制服 (ナチス親衛隊)」の解説の一部です。
「肩章」を含む「制服 (ナチス親衛隊)」の記事については、「制服 (ナチス親衛隊)」の概要を参照ください。
肩章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 15:21 UTC 版)
「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事における「肩章」の解説
地質は緋絨(法務官のみ白絨)、縦長の着脱式で、基本的に下士官兵用の官給品は軟芯、将校准士官などの私物は硬芯。線章・星章は、兵科将校准士官下士は金色金属、各部将校准士官下士相当官は銀色金属。兵科卒の星章は黄絨、各部卒の星章は白絨。 大元帥 大将 中将 少将 大佐 中佐 少佐 大尉 中尉 少尉 特務曹長(のちに准尉) 曹長 軍曹 伍長 上等兵 一等卒(のちに一等兵) 二等卒(のちに二等兵) 陸軍士官学校予科などの生徒は階級が指定されていないため、星章の無い無地の階級章(通称「赤タン」)を着用する。東久邇宮盛厚王。 伍長勤務上等兵は上等兵肩章と合わせて臂章を付す
※この「肩章」の解説は、「軍服 (大日本帝国陸軍)」の解説の一部です。
「肩章」を含む「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事については、「軍服 (大日本帝国陸軍)」の概要を参照ください。
肩章(将校准士官)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 15:21 UTC 版)
「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事における「肩章(将校准士官)」の解説
通常礼装用に制定され、軍装・略装には着用されない。正装・礼装(正衣)に用いる肩章(正肩章)に類似し、丸打金線又は丸打黄絹線で、星章は銀色金属、桜花釦は金色金属で桜花模様が付く。肩章の装着方法は正肩章とは異なり、上衣の肩に設けられた切込孔に裏金具を挿し込む。なお「通常礼装肩章(通礼肩章)」の呼称は俗称であり、制式名称は「肩章」である。
※この「肩章(将校准士官)」の解説は、「軍服 (大日本帝国陸軍)」の解説の一部です。
「肩章(将校准士官)」を含む「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事については、「軍服 (大日本帝国陸軍)」の概要を参照ください。
肩章(下士官兵)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 15:21 UTC 版)
「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事における「肩章(下士官兵)」の解説
下士官兵には旧制式の肩章とは異なる横長で着脱式の肩章が制定された。冬衣の地質に同じで、星章及び釦は金色金属。長辺が120mm、短辺を50mmとし、襟側15mmの位置に釦を付すと共に狭まり、最短辺は270mmである。 下士官は肩端に平織黄絹線又は金線の線章を付す。曹長・上等兵は星章3個、軍曹・一等兵は星章2個、伍長・二等兵は星章1個(肩端から50mmの位置に星章1個を付す)を付す。なお「陸軍服装令」上では下士官兵に通常礼装と称する服制は存在しないため「通常礼装肩章(通礼肩章)」の俗称は誤りであり、あくまで制式名称は「肩章」である。
※この「肩章(下士官兵)」の解説は、「軍服 (大日本帝国陸軍)」の解説の一部です。
「肩章(下士官兵)」を含む「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事については、「軍服 (大日本帝国陸軍)」の概要を参照ください。
「肩章」の例文・使い方・用例・文例
肩章と同じ種類の言葉
- >> 「肩章」を含む用語の索引
- 肩章のページへのリンク