王配
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王配(おうはい)は、一般に女王の配偶者に与えられる称号[1]。国婿(こくせい)や王婿(おうせい)とも言う。
- ^ 『大辞林 第三版』
- ^ “Ekspert: Derfor er Henrik ikke kongegemal”. TV2 (2015年2月19日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ 「女王と一緒の埋葬やめて」デンマーク王配殿下、待遇に長年不満 - AFP, 2017年8月4日
王配
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「ギルフォード・ダドリー」の記事における「王配」の解説
すでに死期の迫っていた国王エドワード6世は、2人の腹違いの姉メアリーとエリザベスを排除して、又従姉であるジェーン・グレイを王位継承者に指名した。エドワード6世が1553年7月6日に死去すると、ノーサンバーランド公爵は亡き王の遺言通りになるよう事を運んだ。神聖ローマ帝国とフランスの大使はノーサンバーランド公爵による計画の成功を確信していた。ジェーンは王位に就くことを嫌がったが、実の両親と義理の両親を始めとする一群の貴族たちの懇願と叱咤に根負けして女王となることに同意した。ギルフォードもまた新妻に繰り返しキスや抱擁をしながら、愛情深い態度で王位に就くよう嘆願した。7月10日、ジェーンとギルフォードは天蓋の下に2人並んで、歓呼を受けつつロンドン塔に入城した。ロンドン塔の主となったギルフォードは、自らも王位に就くことを望み出した。ジェーンの後の告白によれば、「私と議会の同意が無ければ王位に就くことのできない」ギルフォードと彼女とが、このことで長時間の夫婦喧嘩をしたという。結局、ジェーンはギルフォードをクラレンス公爵に叙すことしか認めなかった。ギルフォードは母親のノーサンバーランド公爵夫人に「私がなりたいのは公爵ではない、国王です ("I will not be a duke, I will be King")」ともらした。ノーサンバーランド公爵夫人は嫁の仕打ちに腹を立て、ギルフォードにジェーンと同衾することを禁じた。また公爵夫人はギルフォードにロンドン塔からダラム・ハウスに帰るように命じたが、ジェーンはギルフォードにロンドン塔に残り、自分の傍にいるように求めた。このとき、ジェーンは「私は公爵と枢密院に欺かれたうえ、夫と姑にまで邪慳にされている」と嘆いた。 ギルフォードは枢密院の日々の会合において議長役を務めたが、これに対し国家元首たるジェーンは出席しなかった。女王夫妻は天蓋の下で一緒に食事を摂った。ギルフォードは「陛下」の敬称で呼ばれるようになったが、それはあくまで女王の夫君としての地位のおかげだった。フランス大使アントワーヌ・ド・ノアイユ伯爵 (Antoine de Noailles) は、ギルフォードを「新王」と呼んでいる。スペイン領ネーデルラントのブリュッセル宮廷もギルフォードが国王として即位したと見なしていた。
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