エリーザベト・フォン・ルクセンブルク
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エリーザベト・フォン・ルクセンブルク Elisabeth von Luxemburg |
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ローマ王妃 ハンガリー王妃 ボヘミア王妃 |
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在位 | ローマ王妃:1438年 - 1439年 ハンガリー王妃:1437年 - 1439年 ボヘミア王妃:1438年 - 1439年 |
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出生 | 1409年10月7日![]() |
死去 | 1442年12月19日![]() |
埋葬 | ![]() |
結婚 | 1422年4月22日 ウィーン |
配偶者 | ローマ王アルブレヒト2世 |
子女 | アンナ エリーザベト ラディスラウス |
家名 | ルクセンブルク家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝ジギスムント |
母親 | バルバラ・ツェリスカ |
エリーザベト・フォン・ルクセンブルク(Elisabeth von Luxemburg, 1409年10月7日 - 1442年12月19日)は、ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝およびボヘミアとハンガリーの王ジギスムントと2番目の妃バルバラ・ツェリスカの一人娘。チェコ語名アルジュビェタ(Alžběta Lucemburská)、ハンガリー語名エルジェーベト(Luxemburgi Erzsébet)。ルクセンブルク家最後のルクセンブルク領主であるエリーザベト・フォン・ゲルリッツは従姉にあたる。
生涯
1422年にハプスブルク家のオーストリア公アルブレヒト5世と結婚した。エリーザベトの同名の伯母は夫の祖父アルブレヒト3世の最初の妃であったが、子供をもうけることなく早世していた。
1437年に死去した父ジギスムントには男子の継承者がおらず、娘婿であるアルブレヒトが翌1438年にローマ王アルブレヒト2世となり、ボヘミアとハンガリーの王位も継承した。しかし、アルブレヒトは皇帝としての戴冠をはたせないまま、翌1439年に死去した。エリーザベトは翌1440年にアルブレヒトの子ラディスラウスを産んだが、2年後の1442年に死去した。
アルブレヒト2世とエリーザベトの間には他に2女がいた。長女アンナ(1432年 - 1462年)はテューリンゲン方伯ヴィルヘルム3世(ザクセン選帝侯フリードリヒ1世の四男)と結婚した。ヴィルヘルム3世は妻の権利によって1457年から1469年まで名目上のルクセンブルク公となった。次女エリーザベト(1438年 - 1505年)はポーランド王カジミェシュ4世と結婚した。その長男ヴワディスワフ(ウラースロー2世)はボヘミアとハンガリーの王になった。
登場作品
固有名詞の分類
神聖ローマ皇后 |
マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ ビアンカ・マリア・スフォルツァ エリーザベト・フォン・ルクセンブルク リヒェンツァ・フォン・ノルトハイム マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル |
ボヘミアの王妃 |
エリシュカ・プシェミスロヴナ マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ エリーザベト・フォン・ルクセンブルク ヴィオラ・エルジュビェタ・チェシンスカ アンナ・フォン・デア・プファルツ |
ハンガリーの王妃 |
マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ ギーゼラ・フォン・バイエルン エリーザベト・フォン・ルクセンブルク マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ エレオノーラ・ゴンザーガ |
オーストリアの后妃 |
テオドラ・アンゲリナ ビアンカ・マリア・スフォルツァ エリーザベト・フォン・ルクセンブルク マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル エレオノーラ・ゴンザーガ |
ルクセンブルク家 |
ヨハン・ハインリヒ・フォン・ルクセンブルク マリー・ド・リュクサンブール エリーザベト・フォン・ルクセンブルク エリーザベト・フォン・ベーメン ヨープスト・フォン・メーレン |
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