ギーゼラ・フォン・バイエルン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 10:25 UTC 版)
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ギーゼラ・フォン・バイエルン Gisela von Bayern |
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ハンガリー王妃 | |
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在位 | 997年 - 1038年 |
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出生 | 985年頃![]() |
死去 | 1060/65年![]() |
埋葬 | ![]() |
結婚 | 995年頃 |
配偶者 | ハンガリー王イシュトヴァーン1世 |
子女 | オットー イムレ 他 |
家名 | リウドルフィング家 |
父親 | バイエルン公ハインリヒ2世 |
母親 | ギーゼラ・フォン・ブルグント |
福者 ギーゼラ・フォン・バイエルン | |
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列福日 | 1975年 |
列福決定者 | パウロ6世 |
ギーゼラ・フォン・バイエルン(ドイツ語:Gisela von Bayern, ハンガリー語:Bajorországi Gizella, 985年頃 - 1060年/1065年)は、ハンガリー王イシュトヴァーン1世の妃。カトリック教会の福者。
生涯
バイエルン公ハインリヒ2世と妃ギーゼラ(ブルグント王コンラートの娘)の子としてレーゲンスブルク近郊で生まれた。995年(または1008年)にイシュトヴァーン1世と結婚。ハンガリーの政治を西方に開き、キリスト教化を推進するきっかけとなった。王との間には少なくとも3人の子をもうけているが、のちに聖人とされたイムレを含めて若くして先立たれた。
彼女は尊敬を集める生活をおくり、ハンガリー人のキリスト教化を助けた。夫の死後、ハンガリーから離れることを余儀なくされた。晩年はパッサウ近郊のニーデルンブルクにある女子修道院で暮らし、そこで死んだ。彼女の墓は聖なる場所として有名である。
ギーゼラの列聖の試みは18世紀になされたが失敗した。1975年、列福された。
ギャラリー
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