マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォとは? わかりやすく解説

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マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 06:51 UTC 版)

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マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ
ドゥラッゾーイ・マルギト
Margherita di Durazzo
Durazzói Margit
ナポリ王妃
ハンガリー王妃
サレルノ大聖堂にあるマルゲリータの墓
在位 ナポリ王妃:1382年 - 1386年
ハンガリー王妃:1385年 - 1386年

出生 1347年7月28日
ナポリ王国ナポリ
死去 (1412-08-06) 1412年8月6日(65歳没)
ナポリ王国バロニッシ
埋葬 ナポリ王国サレルノ大聖堂
結婚 1369年2月
配偶者 ナポリ王・ハンガリーカルロ3世(カーロイ2世)
子女 マリア
ジョヴァンナ2世
ラディズラーオ1世
家名 アンジュー=ドゥラッツォ家
父親 ドゥラッツォ公カルロ
母親 マリア・ディ・カラブリア
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マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ(Margherita di Durazzo, 1347年7月28日 - 1412年8月6日)は、ナポリハンガリーの王カルロ3世(カーロイ2世)の王妃。父ドゥラッツォ公カルロはカルロ3世の父ルイージ・ディ・ドゥラッツォの兄であり、マルゲリータとカルロ3世は共に父方の従兄妹同士である。母マリア・ディ・カラブリアは、ドゥラッツォ公カルロの同族の従兄であるカラブリア公カルロの四女で、カルロ3世が王位を奪ったナポリ女王ジョヴァンナ1世の妹である。

ドゥラッツォ公カルロは末子マルゲリータ誕生の翌年の1348年ラヨシュ1世のナポリ遠征の最中にラヨシュ1世の配下によって殺害されている。

1369年、後にナポリ王となるカルロ・ディ・ドゥラッツォと結婚した。2人の間には1男2女が生まれた。

1386年にカルロ3世が暗殺されると、ハンガリー王位は廃位されていた同族の女王マーリアが取り戻したが、ナポリ王位は幼い息子ラディズラーオが継承し、マルゲリータが摂政となった。





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