マリア・ドゥンゲリアとは? わかりやすく解説

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マリア・ドゥンゲリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:00 UTC 版)

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マリア・ドゥンゲリア
Maria d'Ungheria
ナポリ王妃
在位 1285年 - 1309年

出生 1257年
死去 1323年3月25日
ナポリ王国ナポリ
埋葬 ナポリ王国ナポリ、サンタ・マリア・ドンナ・レジーナ・ヴェッキア教会
結婚 1270年
配偶者 ナポリカルロ2世
子女 本文参照
家名 アールパード家
父親 ハンガリーイシュトヴァーン5世
母親 クン・エルジェーベト
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マリア・ドゥンゲリア(Maria d'Ungheria, 1257年頃 - 1323年3月25日)は、ナポリカルロ2世の王妃。ハンガリーイシュトヴァーン5世と王妃エルジェーベトの娘。ハンガリー名はマーリア(Mária)。

生涯

1270年にシチリアカルロ1世(当時まだシチリアを支配していた)の嗣子であるカルロと結婚した。なお、前年の1269年にはマーリアの弟ラースロー4世がカルロ2世の妹イザベッラと結婚している。

カルロ2世との間には14子が生まれた。

マリアの弟ラースロー4世は1290年に暗殺され、嗣子がいなかったため、マリアの長男カルロ・マルテッロが叔父の王位継承を主張してアンドラーシュ3世と争ったが、王位継承を果たせずに早世した。しかしその息子カルロ・ロベルト(カーロイ1世)は、アンドラーシュ3世が死去してアールパード朝が断絶した後、最終的にハンガリー王として戴冠を果たした。





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