エリーザベト・フォン・ベーメンとは? わかりやすく解説

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エリーザベト・フォン・ベーメン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 13:27 UTC 版)

エリーザベト・フォン・ベーメン
Elisabeth von Böhmen

出生 1358年3月19日
神聖ローマ帝国
ボヘミア王国プラハ
死去 1373年9月4日/19日(15歳)
神聖ローマ帝国
オーストリア公国ウィーン
埋葬 神聖ローマ帝国
オーストリア公国、ガミング、カルトジオ会修道院
配偶者 オーストリア公アルブレヒト3世
家名 ルクセンブルク家
父親 神聖ローマ皇帝ボヘミア王カール4世
母親 アンナ・シフィドニツカ
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エリーザベト・フォン・ベーメン(Elisabeth von Böhmen)またはエリーザベト・フォン・ルクセンブルク(Elisabeth von Luxemburg, 1358年 - 1373年)は、神聖ローマ皇帝ボヘミア王カール4世と3番目の妃アンナ・シフィドニツカの娘。父方の祖母エリシュカ・プシェミスロヴナ(ドイツ名エリーザベト)にちなんで名付けられた。同母弟にローマ王兼ボヘミア王ヴェンツェル、異母弟にローマ皇帝兼ボヘミア王兼ハンガリー王ジギスムントがいる。

生涯

1366年、8歳でオーストリア公アルブレヒト3世と結婚した。なお、アルブレヒト3世の兄ルドルフ4世(前年に死去)がエリーザベトの異母姉カタリーナ(1342年 - 1395年)と結婚していた。エリーザベトは1373年に15歳で早世し、子供を残さなかった。アルブレヒト3世はその後、ニュルンベルク城伯フリードリヒ5世の娘ベアトリクスと結婚して一男アルブレヒト4世をもうけた。その息子アルブレヒト5世はエリーザベトの死後に生まれた同名の姪と結婚し、義父ジギスムントの後継者となった。また、同名のもう一人の姪(異母弟ゲルリッツ公ヨハンの娘)はルクセンブルク家最後のルクセンブルク領主となった。

エリーザベト・フォン・ベーメン



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