エリーザベト・フォン・ヴュルテンベルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 14:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動エリーザベト・フォン・ヴュルテンベルク Elisabeth von Württemberg |
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出生 | 1767年4月21日![]() |
死去 | 1790年2月18日(22歳没)![]() ![]() |
埋葬 | ![]() ![]() |
配偶者 | 神聖ローマ皇帝フランツ2世 |
子女 | ルドヴィカ・エリーザベト |
父親 | ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲン |
母親 | フリーデリケ・ドロテア・ゾフィア・フォン・ブランデンブルク=シュヴェート |
エリーザベト・フォン・ヴュルテンベルク (Elisabeth Wilhelmine Louise von Württemberg, 1767年4月21日 - 1790年2月18日)は、神聖ローマ皇帝フランツ2世の最初の妃。
生涯
ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲンとその妃でブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フリードリヒ・ヴィルヘルムの娘であるフリーデリケ・ドロテア・ゾフィアの間の三女として、トレプトウ・アン・デア・レガ(現ポーランド・トシェビャトゥフ)で生まれた。のちに初代ヴュルテンベルク王となるフリードリヒ1世は兄、ロシア皇后マリア・フョードロヴナは姉にあたる。
15歳の時、皇帝ヨーゼフ2世によってウィーンへ呼び寄せられ、カトリック教徒に改宗した上で教育された。これには、ヨーゼフ2世の甥フランツ大公との結婚という目的があった。
1788年1月、エリーザベトはフランツ大公と結婚した。しかし、1789年の暮れに判明した妊娠で、エリーザベトは徐々に健康を害していった。1790年2月、長女ルドヴィカ・エリーザベトを出産したが、翌日にエリーザベトは急死した。また、ルドヴィカ・エリーザベトも生後16ヶ月で夭折した。
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