エリーザベト・フォン・ロートリンゲンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エリーザベト・フォン・ロートリンゲンの意味・解説 

エリーザベト・フォン・ロートリンゲン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:41 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
エリーザベト・フォン・ロートリンゲン
Elisabeth von Lothringen
バイエルン選帝侯
在位 1623年2月23日 - 1635年1月4日
別称号 バイエルン公妃(1597年 - 1635年

全名 エリザベート・ルネ・ド・ロレーヌ(Elisabeth Renée de Lorraine)
出生 (1574-10-09) 1574年10月9日
神聖ローマ帝国
ロレーヌ公領ナンシー
死去 (1635-01-04) 1635年1月4日(60歳没)
神聖ローマ帝国
バイエルン選帝侯領ブラウナウ・アム・イン近く
埋葬 神聖ローマ帝国
バイエルン選帝侯領ミュンヘン、聖ミヒャエル教会
結婚 1595年2月9日 ナンシー
配偶者 バイエルン選帝侯マクシミリアン1世
家名 ロレーヌ家
父親 ロレーヌ公シャルル3世
母親 クロード・ド・ヴァロワ
宗教 キリスト教カトリック
テンプレートを表示

エリーザベト・レナータ・フォン・ロートリンゲン(ドイツ語:Elisabeth Renata von Lothringen, 1574年10月9日 - 1635年1月4日)は、バイエルン選帝侯マクシミリアン1世の妃[1]。フランス語ではエリザベート・ルネ・ド・ロレーヌ(Elisabeth Renée de Lorraine)。エリーザベトには子供がおらず、その結果継承の危機を引き起こしたが、マクシミリアン1世との仲は良好であった。また、政治的に影響力は持たなかったものの、敬虔で寛大であるといわれた。

生涯

エリーザベトはロレーヌ公シャルル3世クロード・ド・ヴァロワの間の娘である。

1595年2月9日ナンシーにおいてエリーザベトはバイエルン公継嗣で従兄弟にあたるマクシミリアン1世と結婚した。この結婚は、バイエルンとロレーヌの2つのカトリック国の間の同盟関係を強化し、フランスおよびトスカーナとバイエルンとの連携をつくるために取り決められた。エリーザベトの姉クリスティーヌトスカーナ大公フェルディナンド1世と結婚していたためである。夫マクシミリアン1世は1597年にバイエルン公位を継承した。さらに1623年にはバイエルン選帝侯となった。

エリーザベトの不妊症のため、夫婦の間には子供がおらず、それが悩みであった。それにもかかわらず、エリーザベトとマクシミリアン1世との関係は良好であった[2]。しかし後継者がいないことで継承危機による政治的不安定をもたらした。

エリーザベトは敬虔なカトリックで、多くの時間を宗教的な活動に費やし、その禁欲的な生活で知られるようになった[2]。結婚当初は生き生きと陽気な様子であったのが、歳とともに憂鬱な様子となっていった[2]。マクシミリアンはエリーザベトに対し、政治的な影響も義務も与えなかったが、エリーザベトは慈善活動に多大な努力を費やした[2]

エリーザベトは長期間患ったのち死去した。エリーザベトとの間に子供がなかったため、マクシミリアン1世はエリーザベトの死の数か月後にマリア・アンナ・フォン・エスターライヒと再婚し、待望の後継者を得ることができた。

脚注

  1. ^ Dieter Albrecht: Maximilian I. von Bayern 1573–1651. Oldenbourg, München 1998, ISBN 3-486-56334-3.
  2. ^ a b c d Maximilian I. von Bayern”. ingolstadt.de. 2018年8月26日閲覧。
エリーザベトと夫マクシミリアン1世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エリーザベト・フォン・ロートリンゲンのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エリーザベト・フォン・ロートリンゲン」の関連用語

エリーザベト・フォン・ロートリンゲンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エリーザベト・フォン・ロートリンゲンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエリーザベト・フォン・ロートリンゲン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS