バイエルン大公
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バイエルン大公(バイエルンたいこう)は、中世ドイツの部族大公。ドイツ南東部からオーストリアにかけてのバイエルン公国を支配した。
- 1 バイエルン大公とは
- 2 バイエルン大公の概要
- 3 Herzog in Bayern
バイエルン選帝侯
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「バイエルンの君主一覧」の記事における「バイエルン選帝侯」の解説
名前肖像画称号在位開始在位終了家系備考マクシミリアン1世 バイエルン選帝侯 1623年2月25日 1651年9月27日 ヴィッテルスバッハ家 1648年にプファルツ選帝侯フリードリヒ5世の旧領の多くはカール1世ルートヴィヒに返還されたが、オーバープファルツはバイエルン公の所有となった。1623年に獲得した選帝侯位もそのまま保持が公認された。 フェルディナント・マリア バイエルン選帝侯 1651年9月27日 1679年5月26日 ヴィッテルスバッハ家 マクシミリアン1世の息子。1651年から1654年の間、叔父ロイヒテンベルク公アルブレヒトの摂政下に置かれる。 マクシミリアン2世エマヌエル バイエルン選帝侯 1679年5月26日 1726年2月26日 ヴィッテルスバッハ家 フェルディナント・マリアとアデライデ・エンリエッタの息子。スペイン継承戦争の際にはローマ皇帝レオポルト1世に対抗する為にフランス側に与した。ブレンハイムの戦いの結果バイエルンを放棄し、1706年4月29日に選帝侯の地位を剥奪された。1714年のバーデン条約で地位を回復して、1726年まで統治した。 カール1世アルブレヒト バイエルン選帝侯 1726年2月26日 1745年1月20日 ヴィッテルスバッハ家 マクシミリアン2世エマヌエルの息子。オーストリア継承戦争の際にフランスと同盟を結んでハプスブルク家に対抗し、1742年にローマ皇帝カール7世となった。しかし同年から1744年にかけてバイエルンはオーストリアに占領された。カール7世はミュンヘンに帰って程無くして死んだ。 マクシミリアン3世ヨーゼフ バイエルン選帝侯 1745年1月20日 1777年12月30日 ヴィッテルスバッハ家 カール1世アルブレヒトの息子。子供のいないマクシミリアン3世はルートヴィヒ4世から続くバイエルン系ヴィッテルスバッハ家の最後の人物となった。マクシミリアン3世の後をルートヴィヒ4世の兄ルドルフ1世の子孫であるプファルツ選帝侯カール2世テオドールが継承した。 カール2世テオドール rowspan="2" style="white-space:nowrap;" |プファルツ選帝侯バイエルン選帝侯 1777年12月30日 1799年2月16日 ヴィッテルスバッハ家(プファルツ=ズルツバッハ家系) プファルツ=ズルツバッハ公ヨハン・クリスティアンとマリア・アンナ・ヘンリエッテの息子。1743年からはプファルツ選帝侯であり、先代のプファルツ選帝侯カール3世フィリップの遠縁かつ孫娘の婿にあたり、先代のバイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの遠縁にもあたる。カール・テオドールにも息子はなく、遠縁であるプファルツ=ツヴァイブリュッケン公マクシミリアン・ヨーゼフ(後の国王マクシミリアン1世)が継承した。 マクシミリアン4世ヨーゼフ バイエルン選帝侯 1799年2月16日 1806年1月1日 ヴィッテルスバッハ家(プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト家系) ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト宮中伯フリードリヒ・ミヒャエルの息子。1795年以降はプファルツ=ツヴァイブリュッケン公であり、カール2世テオドールの遠縁かつ義理の甥にあたる。フランス革命戦争とナポレオン戦争の混迷の中、バイエルンはフランス帝国と同盟を結び、マクシミリアン4世ヨーゼフは実体の無い選帝侯位を捨てて1806年1月1日にバイエルン国王マクシミリアン1世となった。
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バイエルン選帝侯(1623年 - 1805年)
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マクシミリアン1世(在位:1623年 - 1651年) フェルディナント・マリア(在位:1651年 - 1679年) マクシミリアン2世エマヌエル(在位:1679年 - 1726年) カール1世アルブレヒト(在位:1726年 - 1745年) マクシミリアン3世ヨーゼフ・カール(在位:1745年 - 1777年) プファルツ=ズルツバッハ家系 カール2世テオドール(在位:1777年 - 1799年) プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト家系 マクシミリアン4世ヨーゼフ(在位:1799年 - 1805年) 以降のバイエルンの君主については、バイエルン国王を参照。
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