レオポルト_(バイエルン公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > レオポルト_(バイエルン公)の意味・解説 

レオポルト (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 09:36 UTC 版)

レオポルト4世
Leopold IV.
オーストリア辺境伯
バイエルン公
在位 オーストリア辺境伯1136年 - 1141年
バイエルン公1139年 - 1141年

出生 1108年
死去 1141年10月18日
神聖ローマ帝国
バイエルン公領、ニーダーアルタイヒ修道院
埋葬 神聖ローマ帝国
オーストリア辺境伯領、ハイリゲンクロイツ修道院
配偶者 マリア・フォン・ベーメン
家名 バーベンベルク家
父親 オーストリア辺境伯レオポルト3世
母親 アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン
テンプレートを表示

レオポルト4世(Leopold IV., 1108年頃 - 1141年10月18日)は、バーベンベルク家オーストリア辺境伯(在位:1136年 - 1141年)及びバイエルン公(在位:1139年 - 1141年)。オーストリア辺境伯としてはレオポルト4世。オーストリア辺境伯レオポルト3世神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の娘アグネスの次男。最初のオーストリア公ハインリヒ2世の弟。シュヴァーベン大公フリードリヒ2世ローマ王コンラート3世の異父弟にあたる。

生涯

バイエルンはザクセン公でもあったハインリヒ傲岸公が領有していたが、コンラート3世に警戒されて領土を没収、バイエルンはレオポルト4世に、ザクセンはバレンシュテット伯アルブレヒト熊公に与えられた。しかし、1141年に急死、オーストリアとバイエルンは兄のハインリヒ2世が受け継いだ。

1138年ボヘミア公ソビェスラフ1世の娘マリアと結婚したが、子は無かった。

遺体はハイリゲンクロイツ修道院の集会室に埋葬されている[1]

脚注

  1. ^ ハイリゲンクロイツ修道院はウィーンの森の神秘なる中心”. ハイリゲンクロイツ修道院. 2014年1月7日閲覧。
先代
レオポルト3世
オーストリア辺境伯
1136年 - 1141年
次代
ハインリヒ2世
先代
ハインリヒ10世
バイエルン公
1139年 - 1141年
次代
ハインリヒ11世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「レオポルト_(バイエルン公)」の関連用語

レオポルト_(バイエルン公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レオポルト_(バイエルン公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレオポルト (バイエルン公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS