マインハルト3世_(チロル伯)とは? わかりやすく解説

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マインハルト3世 (チロル伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 07:08 UTC 版)

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マインハルト3世
Meinhard III.
上バイエルン公
チロル伯
在位 1361年 - 1363年

出生 (1344-02-09) 1344年2月9日
死去 (1363-01-13) 1363年1月13日(18歳没)
配偶者 マルガレーテ・フォン・ハプスブルク
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 上バイエルン公ルートヴィヒ5世
母親 チロル女伯マルガレーテ
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マインハルト3世Meinhard III.,1344年2月9日 - 1363年1月13日)は、14世紀のチロル伯、上バイエルン公。上バイエルン公ルートヴィヒ5世とチロル女伯マルガレーテの次男。

生涯

1359年オーストリア公アルブレヒト2世の娘マルガレーテと結婚。1361年に父が没し、上バイエルンとチロルを相続した。しかし、病弱でありその領土を巡って義兄のルドルフ4世と叔父のシュテファン2世が対立しており、マインハルト3世は初め叔父に引き取られてミュンヘンに連れて行かれるが、後にルドルフ4世によってチロルに戻された。

1363年、子が無いまま死去。直後にルドルフ4世がチロルに急行、チロル女伯マルガレーテからチロルを譲渡させたが、シュテファン2世が異議を唱え、戦争を起こした。最終的に1369年に和睦が成立、シュテファン2世が上バイエルンを取得、ハプスブルク家がチロルを領有した。

マインハルト3世
先代:
ルートヴィヒ5世
上バイエルン公
1361年 - 1363年
次代:
シュテファン2世
先代:
ルートヴィヒ5世
チロル伯
マルガレーテと共治)
1361年 - 1363年
次代:
ルドルフ4世



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