ヨハン・クリスティアン (プファルツ=ズルツバッハ公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/22 03:24 UTC 版)
ヨハン・クリスティアン Johann Christian |
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プファルツ=ズルツバッハ公 | |
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在位 | 1732年 - 1733年 |
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出生 | 1700年1月23日 |
死去 | 1733年7月20日(33歳没) |
配偶者 | マリー・アンリエット・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ |
エレオノーレ・フィリッピーナ・フォン・ヘッセン=ローテンブルク | |
子女 | カール・テオドール マリア・アンナ |
家名 | プファルツ=ズルツバッハ家 |
父親 | プファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハ |
母親 | エレオノーレ・マリー・アマーリア・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク |
ヨハン・クリスティアン(Johann Christian, 1700年1月23日 - 1733年7月20日)は、プファルツ=ズルツバッハ公である。彼はプファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハとヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク方伯ヴィルヘルムの娘エレオノーレ・マリー・アマーリア・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルクの次男として誕生した。
継承と治世
兄ヨーゼフ・カールが1729年に死去したため、ヨハン・クリスティアンは1732年の父の死後にプファルツ=ズルツバッハ公位を継承した。しかし、彼の治世は短く、翌1733年7月20日に自身も死去した。
家族と子孫
ヨハン・クリスティアンは生涯に2度結婚している。
1722年2月15日、フランス大元帥テュレンヌ子爵の又姪にあたるベルヘン・オプ・ゾーム辺境女伯マリー・アンリエット・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(1708年 - 1728年)と結婚し、2子を儲けた。しかし、マリー・アンリエットは1728年に早世した。
子女は以下の通りである。
- カール・テオドール(1724年12月11日 - 1799年12月31日): プファルツ=ズルツバッハ公を継承。本家のプファルツ選帝侯カール3世フィリップに嗣子がなかったため、1742年にカール3世の孫娘エリーザベト・アウグステと結婚した。1743年にカール3世フィリップの死後、プファルツ選帝侯位を継ぎ、1777年にはバイエルン選帝侯位も獲得した。
- マリア・アンナ(1728年生)
最初の妻の死後、ヨハン・クリスティアンは1731年1月17日に、ヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト2世レオポルトの娘で従妹にあたるエレオノーレ・フィリッピーナ(1712年 - 1759年)と再婚した。しかし、その2年後に彼自身が死去したため、2人の間に子供はなかった。
参考書籍
- 菊池良生 『ドイツ三〇〇諸侯 一千年の興亡』 河出書房新社、2017年。
- 関田淳子 『ビジュアル選書 ドイツ王室一〇〇〇年史―ヨーロッパ史を動かした三王家の栄華と終焉』 青春出版社、2013年。
外部リンク
- ドイツ三〇〇諸侯 一千年の興亡 - 河出書房新社: https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309227023/
- ビジュアル選書 ドイツ王室一〇〇〇年史―ヨーロッパ史を動かした三王家の栄華と終焉 - 紀伊國屋書店: https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784806148562
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