ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハとは? わかりやすく解説

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ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 08:13 UTC 版)

ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハ
Joseph Karl von Pfalz-Sulzbach
プファルツ=ズルツバッハ公世子

出生 (1694-11-02) 1694年11月2日
神聖ローマ帝国
プファルツ=ズルツバッハ公領、ズルツバッハ
死去 (1729-07-18) 1729年7月18日(34歳没)
神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領、オッガースハイム
埋葬 神聖ローマ帝国
バイエルン選帝侯領ミュンヘン、聖ミヒャエル教会
配偶者 エリーザベト・アウグステ・ゾフィー・フォン・デア・プファルツ
子女 一覧参照
家名 プファルツ=ズルツバッハ家
父親 プファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハ
母親 エレオノーレ・マリー・アマーリア・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク
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ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハ(Joseph Karl von Pfalz-Sulzbach, 1694年11月2日 - 1729年7月18日)は、プファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハとエレオノーレ・マリー・アマーリア・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルクの長男。ヨハン・クリスティアンの兄。

生涯

プファルツ選帝侯カール3世フィリップには息子がなかったため、1716年にヨーゼフ・カールはカール3世の後継者と決められた。それに伴い、翌1717年にカール3世の娘エリーザベト・アウグステ・ゾフィーと結婚したが、1728年にエリーザベトが死去、自身も後を追うように翌1729年に急死した。

エリーザベトとの間に生まれた息子は全員夭折、娘しか残らなかったため、弟のヨハン・クリスティアンが改めて後継者に選ばれた。後にヨハン・クリスティアンも早世、その息子カール・テオドールがヨーゼフ・カールとエリーザベトの娘エリーザベト・アウグステと結婚、カール3世亡き後のプファルツ選帝侯を継承した。

子女





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