1614年から1742年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 00:15 UTC 版)
「プファルツ=ズルツバッハ」の記事における「1614年から1742年まで」の解説
1614年のプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒの死により、その息子アウグストが新たにプファルツ=ズルツバッハを興した。彼の地はバイエルン選帝侯と2分された。西方は帝国都市ニュルンベルクに接し、東方はボヘミア王国に接した。 アウグストの跡を継いだクリスティアン・アウグストは寛容な君主で、個々の宗教の信仰を認めたり、シムルタネウムを導入したり、1666年にユダヤ人が定住するのを認め、印刷業を設立した。プファルツ選帝侯カール3世フィリップの死後、クリスティアン・アウグストの後継者のプファルツ=ズルツバッハ公が選帝侯位を継承するのは明白であった。しかし、それが実現したのは1742年、カール・テオドールの代であった。 プファルツ=ズルツバッハ公 アウグスト(1614年 - 1632年) クリスティアン・アウグスト(1632年 - 1708年) テオドール・オイスタッハ(1708年 - 1732年) ヨハン・クリスティアン(1732年 - 1733年) カール・テオドール(1733年 - 1742年) - 後にプファルツ選帝侯(1743年 - 1777年)、バイエルン選帝侯(1777年 - 1799年)
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