バイエルン軍人
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「フランツ・フォン・エップ」の記事における「バイエルン軍人」の解説
1868年にバイエルン王国ミュンヘンにカトリック教徒の画家ルドルフ・エップ(ドイツ語版)とその妻カトリーナの第1子として生まれた。妹にはヘレンとアウグステがいる。アウクスブルクの学校で学んだ後、1887年8月16日にバイエルン陸軍に入隊し、第9歩兵連隊「ヴレーデ」(ドイツ語版)に配属される。1896年から1899年にかけて、第19歩兵連隊「ケーニヒ・ヴィクトール・イマヌエル3世」(ドイツ語版)に配属され、同時期にバイエルン士官学校(ドイツ語版)で参謀学を学んだ。 1900年、義和団の乱が発生した際には自ら志願して清へ赴き、鎮圧にあたった。1900年から1901年にかけてドイツ領南西アフリカで中隊の指揮官を務め、ヘレロ・ナマクア虐殺にも関与した。1906年に帰国し、1908年から1912年にかけて第3師団参謀を務め、その後は少佐に昇進し大隊指揮官を務めた。 1914年、第一次世界大戦に出征し、西ザールブルクの戦闘で負傷し鉄十字章を授与され中佐に昇進する。1915年にセルビアに派遣されギリシャとの国境線に配置され、次いで南チロルに派遣される。1916年6月にはヴェルダンの戦いに従軍し、マックス・ヨーゼフ勲章(ドイツ語版)を授与されると同時に「騎士(Ritter)」位の叙爵を受け、以降「フランツ・リッター・フォン・エップ」と名乗った。その後はルーマニア戦線に派遣された他、西部戦線やイソンゾの戦い(英語版)などに従軍した。1918年春季攻勢に従軍し、プール・ル・メリット勲章を授与され、大佐で敗戦を迎える。
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