ヨハン1世_(バイエルン公)とは? わかりやすく解説

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ヨハン1世 (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 04:44 UTC 版)

ヨハン1世
Johann I.
下バイエルン公
在位 1339年 - 1340年

出生 (1329-11-29) 1329年11月29日
死去 (1340-12-20) 1340年12月20日(11歳没)
神聖ローマ帝国
下バイエルン公領ランツフート
埋葬 神聖ローマ帝国
下バイエルン公領ランツフート、ゼリゲンタール修道院
配偶者 アンナ・フォン・バイエルン
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 下バイエルン公ハインリヒ14世
母親 マルガレーテ・フォン・ルクセンブルク
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ヨハン1世(Johann I., 1329年11月29日 - 1340年12月20日)は、下バイエルン公(在位:1339年 - 1340年)。小児公(das Kind)と呼ばれる。

生涯

ヨハン1世は下バイエルン公ハインリヒ14世ボヘミア王ヨハンの娘マルガレーテの息子である[1]。1335年にポーランド王カジミェシュ3世の娘エルジュビェタと婚約した[2]。この婚約、およびライン宮中伯ルドルフ2世の娘との婚約は解消され、ヨハン1世は1339年4月18日にミュンヘンにおいて神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の娘アンナと結婚した[3]。この結婚は、父である下バイエルン公ハインリヒ14世とルートヴィヒ4世の間の平和条約によるものであった。1339年9月に父ハインリヒ14世が亡くなると、ルートヴィヒ4世は義理の息子の後見を引き継いだ。

翌年12月にヨハン1世がわずか11歳で亡くなると、下バイエルン公領は義父ルートヴィヒ4世のものとなったが、ルートヴィヒ4世はすでに上バイエルン公領を統治しており、1255年の分割後はじめて両公領を再統合した。ヴィッテルスバッハ家の下バイエルン家系は、ヨハン1世の死とともに断絶した。ヨハン1世はゼリゲンタール修道院に埋葬された。

脚注

参考文献

  • Riezler, Sigmund von (1964). Geschichte Bayerns. Band 2. Aalen: Scientia  (reprint of the Gotha 1880 edition)
先代
ハインリヒ14世
下バイエルン公
1339年 - 1340年
次代
ルートヴィヒ4世



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