ヨハン1世 (スウェーデン王)とは? わかりやすく解説

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ヨハン1世 (スウェーデン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/04 06:35 UTC 版)

ヨハン1世
Johan Sverkersson
スウェーデン王
ヨハン1世の発行した硬貨
在位 1216年 - 1222年

出生 1201年
死去 1222年3月10日
家名 スヴェルケル家
父親 スヴェルケル2世
母親 インゲヤード・ビルイェルスドッテル
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ヨハン・スヴェルケルソン (スウェーデン語: Johan Sverkersson, 1201年 - 1222年3月10日)は、スウェーデン王ヨハン1世、在位:1216年 - 1222年[1])。

生い立ちと即位

ヨハン・スヴェルケルソンは、スヴェルケル家のスウェーデン王スヴェルケル2世とフォルクング家のインゲヤード・ビルイェルスドッテル(ビルイェル・ブローサ娘)の息子である。スヴェルケル2世は1208年のレーナの戦いで敗れ、1210年のイェスティールレンの戦いで敗死した。これにより、彼と争っていたエリク家のエリク・クヌートソンがエリク10世として即位した。

即位と治世

1216年にエリク10世が急死すると、スウェーデン貴族は教皇の意向に反して15歳のヨハンを擁立した。彼は1219年にヨハン1世として戴冠した。彼の治世の間に、ヨハン1世の従兄のヤールカール・ドーヴ(聾のカール)と聖職者カール・マグヌソンがエストニアレーネに遠征したが、1220年リフラの戦いで両者とも戦死し、その後300年にわたりスウェーデンの勢力はエストニアから駆逐されることとなった。この遠征についてはリヴォニアのヘンリーの年代記やリヴォニアの押韻年代記に記されている。

ヨハン1世は1222年に死去した。子が無かったために、再びエリク家のエリク・エーリクソンが6歳でエリク11世として即位した。[2]

参考文献


先代
エリク10世
スウェーデン王
1216年 - 1222年
次代
エリク11世



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