マグヌス2世 (スウェーデン王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 06:51 UTC 版)
マグヌス・ヘンリクソン / マグヌス2世 Magnus Henriksson / Magnus II | |
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スウェーデン王 | |
![]() エリク9世を殺害するマグヌス(Johan Peringskiöld画) | |
在位 | 1160年 - 1161年 |
出生 |
1148年 |
死去 |
1161年 |
配偶者 | ブリギット |
家名 | エストリズセン家 |
王朝 | エストリズセン朝 |
父親 | ヘンリク |
母親 | イングリッド |
マグヌス・ヘンリクソン(スウェーデン語: Magnus Henriksson、1148年 - 1161年)は、スウェーデン王(マグヌス2世、Magnus II、在位:1160年 - 1161年)。王位簒奪者として知られる[1]。
生涯
マグヌスの母はスウェーデン王インゲ1世の孫娘イングリッド、父ヘンリクはデンマークの貴族で、デンマーク王スヴェン2世の庶子スヴェンの息子だった。マグヌスはノルウェー王ハーラル4世の娘ブリギットと結婚した。
スウェーデン王位請求者であったマグヌスは、1160年にエリク9世(聖王)がウップサーラ近郊ウストラ・アロスの教会から出たところを待ち伏せして殺害した。これによってマグヌスはマグヌス2世としてスウェーデンのほぼ全域の王となったが、翌1161年にイェータランドの支配者で先々代の王スヴェルケル1世の息子カール・スヴェルケルソンの軍勢によって処刑された。
マグヌス2世の死後、カール・スヴェルケルソンはカール7世として即位し、スヴェルケル朝を復興した[2]。
脚注
- ^ Hans Gillingstam. “Magnus Henriksson”. Svenskt biografiskt lexikon. 2016年5月20日閲覧。
- ^ “Karl Sverkersson”. Nordisk familjebok. 2016年5月20日閲覧。
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