アルブレヒト3世_(バイエルン公)とは? わかりやすく解説

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アルブレヒト3世 (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/25 07:48 UTC 版)

アルブレヒト3世
Albrecht III.
上バイエルン=ミュンヘン公
ボヘミア王位を拒絶するアルブレヒト3世。19世紀の絵画より
在位 1438年 - 1460年

出生 (1401-03-27) 1401年3月27日
神聖ローマ帝国
バイエルン・ミュンヘン公国ヴォルフラーツハウゼン英語版
死去 (1460-02-29) 1460年2月29日(58歳没)
神聖ローマ帝国
バイエルン・ミュンヘン公国ミュンヘン
埋葬 神聖ローマ帝国
バイエルン・ミュンヘン公国アンデクス英語版
配偶者 アグネス・ベルナウアー
  アンナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン
子女 一覧参照
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 上バイエルン=ミュンヘン公エルンスト
母親 エリザベッタ・ヴィスコンティ
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ボヘミア王位を拒絶するアルブレヒト3世(19世紀の絵画より)

アルブレヒト3世(Albrecht III., 1401年3月27日 - 1460年2月29日)は、上バイエルン=ミュンヘンエルンストと妻エリザベッタ・ヴィスコンティの子。

生涯

1429年ヴュルテンベルク伯エーバーハルト3世の娘エリーザベトと婚約していたが、密かにアグネス・ベルナウアーと結婚した。激怒した父は1435年10月にアグネスを殺害、アルブレヒト3世は上バイエルン=インゴルシュタット公ルートヴィヒ7世の元に逃げ込んだが、11月に和解、1437年にブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン公エーリヒ1世の娘アンナと結婚。翌1438年、父が死去して上バイエルン=ミュンヘン公となった。1440年ボヘミア王即位を薦められたが、拒絶した。

1455年、アンデクスにベネディクト会修道会を設立。1460年にミュンヘンで死去した後、アンデクスに埋葬された。

家族

アンナとの間に10人の子が生まれた。

  1. ヨハン4世(1437年 - 1463年)
  2. エルンスト(1438年 - 1460年)
  3. ジギスムント(1439年 - 1501年)
  4. アルブレヒト(1440年 - 1445年)
  5. マルガレーテ(1442年 - 1479年) - マントヴァフェデリーコ1世・ゴンザーガと結婚。
  6. エリーザベト(1443年 - 1486年) - ザクセン選帝侯エルンストと結婚。
  7. アルブレヒト4世(1447年 - 1508年)
  8. クリストフ(1449年 - 1493年)
  9. ヴォルフガング(1451年 - 1514年)
  10. バーバラ(1454年 - 1472年)
先代
エルンスト
上バイエルン=ミュンヘン
1438年 - 1460年
次代
ヨハン4世
ジギスムント



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