エリザベッタ・ヴィスコンティとは? わかりやすく解説

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エリザベッタ・ヴィスコンティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 02:19 UTC 版)

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エリザベッタ・ヴィスコンティ
Elisabetta Visconti

出生 1374年
ミラノ
死去 1432年2月2日
神聖ローマ帝国
バイエルン公領
埋葬 神聖ローマ帝国
バイエルン公領ミュンヘンマリア礼拝堂ドイツ語版地下納骨堂
配偶者 バイエルン公エルンスト
子女 アルブレヒト3世
ベアトリクス
エリーザベト
アマーリエ
家名 ヴィスコンティ家
父親 ミラノ僭主ベルナボ・ヴィスコンティ
母親 レジーナ・デッラ・スカラ
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エリザベッタ・ヴィスコンティElisabetta Visconti, 1374年 - 1432年2月2日)は、ミラノの僭主ベルナボ・ヴィスコンティの娘で、バイエルン公エルンストの妻。

生涯

ベルナボ・ヴィスコンティと妻レジーナ・デッラ・スカラの間の15人の子供のうち年少の子として生まれた。1396年2月24日にプファフェンホーフェン・アン・デア・イルムドイツ語版において、バイエルン=ミュンヘン分領を治めるエルンスト公と結婚した。ベルナボの娘たちは「10万グルデンの持参金付き」と言われ[1]、先にバイエルン公爵家に嫁いだ2人の姉タデアマッダレーナにはこの巨額の持参金が付けられていた。エリザベッタの場合は姉たちに比べると少額の7万5000グルデンだったが、それでも十分な高額でありバイエルン公爵家の借金の返済に大いに貢献した。

政情不安のため、公爵夫妻は結婚後1年半しかミュンヘンに滞在することができず、1397年12月24日から1403年6月までヴォルフラーツハウゼンドイツ語版に居を移して過ごした。夫妻は間に4人の子女をもうけ、第1子の長男だけはヴォルフラーツハウゼンの仮寓で出産したが、その他の娘たちは皆ミュンヘンの宮城アルテンホーフ(Alten Hof)でしかるべき祝福を受けつつ生まれている。

  • アルブレヒト3世(1401年 - 1460年) - バイエルン=ミュンヘン公
  • ベアトリクス(1403年 - 1447年) - 1424年にツェリェ伯ヘルマン3世と結婚、1426年にプファルツ=ノイマルクト公ヨハンと再婚
  • エリーザベト(1406年 - 1468年) - 1430年にユーリヒ=ベルク公アドルフと結婚、1440年にライニンゲン伯ハッソと再婚
  • アマーリエ(1408年 - 1432年) - 修道女

エリザベッタは各地での建築事業に関わり、自分でも建築を監督した。オーデルツハウゼンドイツ語版の古城を改築し、晩年に好んでこの城に滞在した。

1432年に亡くなり、ミュンヘンのマリア礼拝堂ドイツ語版地下納骨堂に葬られた。

参考文献

  • Daniela Crescenzio: Italienische Spaziergänge in München, Band III – Italienische Frauen in München, 1. Auflage. IT-INERARIO, Rosenheim 2013, ISBN 978-3-9813046-6-4.

脚注

  1. ^ Aufgrund der Höhe ihrer Mitgift so bezeichnet etwa von Benno Hubensteiner, Bayerische Geschichte, München 1952, S. 126. Ebenso Karin Kaltwasser, Herzog und Adel in Bayern-Landshut unter Heinrich XVI. dem Reichen (1393–1450), S. 8, Anm. 57 und S. 40, Anm. 201.



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