マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロルとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 后妃 > 神聖ローマ皇后 > マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロルの意味・解説 

マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 06:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル
Maria Leopoldine von Österreich-Tirol
神聖ローマ皇后
ハンガリー王妃
ボヘミア王妃
在位 1648年 - 1649年

出生 1632年4月6日
神聖ローマ帝国
チロル伯領インスブルック
死去 (1649-08-07) 1649年8月7日(17歳没)
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーン
埋葬 神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーンカプツィーナー納骨堂
結婚 1648年7月2日 リンツ
配偶者 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世
子女 カール・ヨーゼフ
家名 ハプスブルク家
父親 オーストリア大公レオポルト5世
母親 クラウディア・デ・メディチ
テンプレートを表示

マリア・レオポルディーネ・フォン・エスターライヒ=ティロル(Maria Leopoldine von Österreich-Tirol, 1632年4月6日 - 1649年8月7日[要出典])は、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の2度目の皇后。

生涯

オーストリア大公レオポルト5世(皇帝フェルディナント2世の弟)と、妃クラウディア・デ・メディチとの間に三女(第5子)としてインスブルックで生まれた。

1648年7月、従兄にあたるフェルディナントとリンツで結婚した。翌1649年8月7日に長男カール・ヨーゼフ(1649年 - 1664年)を出産後、死去した。遺体はウィーンカプツィーナー納骨堂に葬られた。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル」の関連用語

マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS