ジェーン・グレイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 08:59 UTC 版)
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ジェーン Jane |
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イングランド女王 | |
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在位 | 1553年7月10日 - 19日 |
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出生 | 1537年10月12日?![]() |
死去 | 1554年2月12日 (16歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | ギルフォード・ダドリー |
王朝 | テューダー朝 |
父親 | 初代サフォーク公爵ヘンリー・グレイ |
母親 | フランセス・ブランドン |
宗教 | プロテスタント |
ジェーン・グレイ(英: Jane Grey、1537年10月12日? - 1554年2月12日)は、16世紀中頃のイングランドの女王(在位:1553年7月10日[注釈 1] - 19日)。異名に、九日間の女王(ここのかかんのじょおう、Nine-Day Queen)がある。
数奇な縁でイングランド史上初の女王として即位したが、在位わずか9日間でメアリー1世により廃位され、その7か月後に大逆罪で斬首刑に処された。そうした経緯から、イギリスでは古来彼女のことを「クイーン・ジェーン」(Queen Jane、ジェーン女王)とは呼ばずにレディー・ジェーン・グレイ(Lady Jane Grey、ジェーン・グレイ令嬢)と呼んできた。ジェーンを正統なイングランド君主とはみなさない史家や学者も少なくないが、イギリス王室はジェーンをテューダー朝第4代として公式に歴代君主の一人に数えている[1]。
父は初代サフォーク公爵ヘンリー・グレイ、母は同公爵夫人フランセス・ブランドン。母方の祖母がヘンリー8世の妹でプロテスタントのメアリー・テューダーだったことがジェーンの王位継承権の根拠となった。
来歴
ジェーンの血統に着目したウォリック伯(のちのノーサンバランド公ジョン・ダドリー)は、政敵サマセット公エドワード・シーモア(エドワード6世の母方の伯父)に反逆の汚名を着せ処刑した後、自分の息子ギルフォード・ダドリー[注釈 2]とジェーンを結婚させた。そうして、王位継承のライバルとなるヘンリー8世の長女メアリーがカトリックであることを利用し、熱烈なプロテスタントのエドワード6世を説き伏せ、病床の国王から自分の死後ジェーンを即位させることを指示する勅令を得た。ノーサンバランド公の最終目的は、ジェーンとギルフォードの息子(ノーサンバランド公の孫)を王位につけることにあったという。
エドワード6世が死去すると、ノーサンバランド公はジェーンの即位を宣言したものの、陰謀を察知したメアリーが逃亡し[注釈 3]、身柄を拘束できなかった。そのためメアリー派の反攻を許すこととなり、1553年7月19日にサフォークでメアリーが即位を宣言、ジェーンと夫ギルフォードらが逮捕された。ついでギルフォードの兄弟であるジョン、アンブローズ、ロバート、ヘンリーらダドリー一族も逮捕された。
その後、ジェーンはロンドン塔幽閉を経て、1554年2月12日、夫ギルフォードとともに斬首された。王位に就いたメアリーは当初、ジェーンの処刑に躊躇したと言われるが、ジェーンを処刑しなければメアリーとアストゥリアス公フェリペ王子との婚約を解消するというスペインからの申し入れを受けて、処刑を決断したという[注釈 4]。この時、メアリーはプロテスタントの信者であったジェーンに対し、カトリックに改宗すれば命を助けるとの温情を示したが、ジェーンは毅然として改宗を拒み死を選んだとも伝えられる。なお、ジェーンが処刑された1554年2月は、ジェーンを王位に即けることを要求したワイアットの乱が発生した月でもあり、ジェーンの処刑はこの乱の影響もあったと考えられている。
処刑後、遺体は夫ギルフォードとともにセント・ピーター・アド・ヴィンキュラ王室礼拝堂(Chapel Royal of St. Peter ad Vincula)に葬られた。満16歳の生涯であった。
系図
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マーガレット |
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ヘンリー8世 |
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メアリー |
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スコットランド王 ジェームズ5世 |
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マーガレット |
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メアリー1世 |
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エリザベス1世 |
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エドワード6世 |
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フランセス |
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スコットランド女王 メアリー1世 |
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ヘンリー |
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ジェームズ1世 =スコットランド王 同6世 |
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(ステュアート朝) |
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文学・フィクション
- 『レディ・ジェーン/愛と運命のふたり』 - 1985年公開の映画。ヘレナ・ボナム=カーターがジェーンを演じている。
- 『9days Queen〜九日間の女王』 - 2014年に上演された青木豪による戯曲。白井晃演出、堀北真希主演。
- 『倫敦塔』 - 夏目漱石がロンドン塔に幽閉され、処刑されたジェーンについて触れている。
- 『王子と乞食』

小説
- カーリン・ブラッドフォード『九日間の女王さま』
- 柳広司『吾輩はシャーロック・ホームズである』小学館、2005年 ISBN 409387624X
- 桐生操『悲劇の9日女王ジェーン・グレイ』中経出版、2014年
- 藍川竜樹『女王ジェーン・グレイは九度死ぬ 時戻りを繰り返す少女と騎士の物語』二見書房(二見サラ文庫)、2022年 ISBN 978-4-576-22036-9
- William Harrison Ainsworth The Tower of London, 1840
- Philippa Gregory The Queen's Fool, London: Herpercollins, 2003, ISBN 0007147295
- Carolyn Meyer Beware, Princess Elizabeth, Frolida: Gulliver books, 2001, ISBN 0152045562
- Rosalind Miles I, Elizabeth, New York: Three River Press, 1994, ISBN 0609809105
- Ann Rinaldi Nine Days A Queen, New York: Herpercollins, 2005, ISBN 0060549238
- Alison Weir Innocent Traitor – A Novel of Lady Jane Grey
脚注
注釈
- ^ ジェーンがロンドン塔に入城し枢密院がその即位を宣言したのが7月10日。前のエドワード6世が崩御したのはその4日前の7月6日だったが、その死はジェーンがロンドンに到着するまで秘匿された。この空白の4日間もジェーンの治世に含めて彼女の即位を7月6日まで溯る見方もあるにはあるが、実態を欠く。
- ^ ジョン・ダドリーの六男。8人いた息子のうち1553年当時存命だった5人の中では上から4番目。
- ^ 英文のものも含め、ノーフォーク公がメアリーを匿ったと記述されている文献があるが、厳密には誤り。第3代ノーフォーク公トマス・ハワードはヘンリー8世の晩年にロンドン塔に投獄され、その身柄は次のエドワード6世の在位中もずっと獄中にあった。メアリーはまずハワード家の所有するノーフォークのケニングホールに逃れ、その後フラミンガム城に移動した。メアリーがノーサンバランド公に勝利し、女王になってからやっとノーフォーク公は釈放された。
- ^ ジェーンの父ヘンリー・グレイがフェリペとメアリーの結婚に反対して起きたケントの反乱の首謀者のひとりであったことによる。
出典
- ^ “Lady Jane Grey”. 英国王室. 2019年1月9日閲覧。
参考文献
- 小西章子『華麗なる二人の女王の戦い』朝日新聞社、1988年 ISBN 4022605308
- Fraser, Antonia The six wives of Henry VIII, London: Phoenix, 2002(初版は別の出版社で1992年) ISBN 1842126334(日本語訳:アントーニア・フレイザー『ヘンリー八世と六人の王妃』)
- R.Tyler(ed.), Calendar of Letters, Despatches and State papers relating to the Negotation between England and Spain,1969-78, vol. 11.
- Wingfield, ‘Vita Mariae Aigliae Reginae(1554)’, ed. and tr. by D. MacCuloch, in Camden Miscellary XXVIII(Camden 4th ser. 29), London, 1984.
- 石井美樹子『薔薇の王朝 王妃たちの英国を旅する』NTT出版、1996年
外部リンク
ジェーン・グレイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:07 UTC 版)
トムが宮殿内で出会う姫君。容姿はとても可愛らしい。エドワードの姉であるメアリーやエリザベスとよく一緒にいる。
※この「ジェーン・グレイ」の解説は、「王子と乞食」の解説の一部です。
「ジェーン・グレイ」を含む「王子と乞食」の記事については、「王子と乞食」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
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