マクベス (スコットランド王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 17:18 UTC 版)
マクベス Macbeth / Mac Bethad mac Findlaich |
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スコットランド王 | |
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在位 | 1040年 - 1057年 |
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出生 | 1005年![]() |
死去 | 1057年8月15日![]() |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | グロッホ |
子女 | (継子)ルーラッハ |
家名 | アルピン家 |
王朝 | アルピン朝 |
父親 | マリ領主フィンレック |
母親 | ドウナダ |
マクベタッド・マク・フィンレック(Mac Bethad mac Findlaich, 現代ゲール語:MacBheatha mac Fhionnlaigh, 1005年 - 1057年8月15日[2])は、スコットランド王(在位 : 1040年 - 1057年)。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の題名にもなったマクベス(Macbeth)の通称で世界的に知られる。マルカム2世の次女ドウナダ(Donada)とマリ領主フィンレック(Findlaich)の間に生まれた。異父兄にオークニー伯トールフィン(ソーフィン)がいる。マクベスの名は、ゲール語で「生命の子(マク・ベーサ)」の意味である[3]。
生涯
1040年8月14日、従兄のダンカン1世を殺害し、王位を奪った。マクベスは、反対勢力や王位継承の可能性のある者たちを次々と抹殺していった[4]。1043年に共にアルピン王家の血を引くバンクォウを殺害、1045年にはダンカン1世の父でアサル領主のクリナンと戦って彼を殺害した[4]。
マクベスは統治能力に優れた人物と言われ、17年と当時としては長期間在位した[4]。また、1050年にはローマへの巡礼旅行に出ている[4]。
1054年、マルカム・カンモーにスクーンの戦いで大敗し、1057年のランファナンの戦いで戦死した。
1032年頃にケネス3世の孫娘グロッホと結婚している。マクベスの死後、王位は継子ルーラッハ(グロッホと先夫マリ領主ギラコムガンとの間の息子)が継承したが、ルーラッハも即位から4か月後にマルカム・カンモーに殺害され、マルカム・カンモーがマルカム3世として即位した[5]。
脚注
参考文献
- 森護『スコットランド王室史話』大修館書店、1988年。ISBN 978-4469242560。
- ナイジェル・トランター『スコットランド物語』杉本優(訳)、大修館書店、1997年。 ISBN 978-4469244014。
関連項目
「マクベス (スコットランド王)」の例文・使い方・用例・文例
- マクベス夫人
- その俳優はマクベスの役を大変うまく演じた
- 私たちは来月までに次の2作品,『ハムレット』と『マクベス』を読まなければならない
- 「マクベス」はシェークスピアの有名な悲劇の1つです
- 私は「マクベス」を翻訳で読んだ
- 彼はマクベスの役を非常にうまく演じる。
- マクベスは敵を襲撃するために軍隊を召集した。
- シェイクスピアのマクベスは悲劇である。
- 彼がマクベスに扮(ふん)すると番組に出ていた.
- 彼はマクベスの役を好演した.
- 劇[場面, マクベス]を演ずる.
- 彼女は(マクベス夫人という)いくぶん不適な役に当てられた.
- 我々は学生会館で「マクベス」を上演した.
- 「マクベス」を上演する予定である.
- 「マクベス」はシェイクスピア作の有名な悲劇である.
- 彼はマクベスの代役のけいこをした.
- 彼女は『マクベス』を開き, バンクオの亡霊に悩まされたマクベスが 3 人の魔女に相談するくだりを読んだ.
- マクベス夫人を演じたがっていますが、その役には、彼女は若過ぎる
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