創作年代と書誌
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「終わりよければ全てよし」の記事における「創作年代と書誌」の解説
この作品の初出は1623年に刊行された最初のシェイクスピア全集ファースト・フォリオであり、それ以前に単行本化されることはなかった。作品の雰囲気やスタイルに矛盾が見られることからシェイクスピア自身によって後年に改訂されたのではないかという説もあるがむしろフォリオはシェイクスピアの自筆草稿を底本にしており、その後の修正が反映されなかったための矛盾ではないかという推測が一般的である。
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創作年代と書誌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 10:12 UTC 版)
「マクベス (シェイクスピア)」の記事における「創作年代と書誌」の解説
四折判での刊行はなく、1623年のファースト・フォリオが最古のテキストであり、現存するテキストは全てこの版による。 全2,477行、その98%が韻文である。シェイクスピア劇としては『あらし(テンペスト)』・『間違い続き』に次いで3番目に短く、成立年代も接近しているとされる『ハムレット』の4024行(これはシェイクスピア作品中最長)、『オセロー』の3560行、『リア王』の3499行と比較すると短さが著しい。 また、上演の記録も後述のように1611年より遡れない。従って創作年代はテキストの内証によるしかないが、何度も書き直されたうえ、初期のテキストは残っていないため、その確定は困難である。 現在知られる内容の『マクベス』(ファースト・フォリオに収録されたもの)の推定執筆年代は1606年頃である。これについては、バンクォーを祖と考えるステュアート家のスコットランド王ジェームズ6世が1603年にイングランドの王位を継承(ジェームズ1世)したことが大きく影響している。さらに、第2幕第3場の門番のセリフが、1605年に発覚した火薬陰謀事件に関与して裁判にかけられたイエズス会士、ヘンリー・ガーネット (Henry Garnet) を念頭に書かれているとの推定から、本作の成立を裁判のはじまった1606年の中頃以降と考える説が有力となっている。 更に、この作品はシェイクスピアの悲劇としてはあまりに短いこと、また内容的に幾つかの点で飛躍や省略と思われる箇所が存在することから、初めに長い版の『マクベス』があって、これをシェイクスピア自身が短縮したと考える者もいる。この短縮改訂説はデンマーク王クリスチャン4世が1606年にロンドンを訪問した際に宮中で本作が上演された可能性を考えることから生じる(次節参照)。宮中での上演には通常の上演は長すぎるので、そのために大幅にカットされたとするのであり、これも1606年に現在の『マクベス』が成立したとする根拠とされる。 その場合には現在のものより長い『マクベス』が先行して成立していた可能性を考えねばならないが、スコットランド王であったジェームズを賛美する劇の基本骨格は動かないことから、ドーヴァー・ウィルソンなどは1601年頃にシェイクスピアの劇団「宮内大臣一座」がスコットランドのエディンバラに赴いた際の成立を主張している。 また、この作品にトーマス・ミドルトン、またはミドルトン作品を知る無名の作家による加筆があることは定説化している。その加筆部分は、ヘカテが登場する場面、すなわち第3幕第5場の全部と、第4幕第1場のヘカテのセリフ(6行)と付随するト書きを含む10行程度だけだとされる。いずれも、ミドルトンの戯曲『魔女』(1615年)に出てくる歌の抜粋が挿入されていることからの推定である。なおこの変更は加筆だけでなく、いくらかの削除をした可能性があるが、シェイクスピア自身の手によって大幅な短縮化がなされた可能性もある以上、この際の削除部分を具体的に推察することは不可能である。
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