創作・思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 15:41 UTC 版)
担当編集者によると、荻原の原稿はあとからの校正がほとんど入らない。しかし最初から綿密な構成があるわけではなく、「たぶん他の作家さんが聞いたら『それでいいの?』って思うくらい、 最初は薄ぼんやりとしたイメージしかない」という。自身の創作について、「わりと出たとこ勝負で書いていくタイプで、あまり伏線とか考えない」「構成がそれほどしっかり出来ていなくて、出したものをあとから回収していく感じ」「(タネを播くのは)本能ですね(笑)。それで芽が出たところだけ、あとで摘んでいくという…。計算ではないんですよ」と述べており、書きながら湧き上がるイメージをまとめていくタイプである。最初からラストだけは何となく見えており(この時点では物語の過程はわからない)、物語がどんどん広がっていくと、ある時点で収束に向かっていく。広がる力と収束する力は別のものだ感じている。 大きな話というものがファンタジーというジャンルだと思うが、まず「枠の大きな話を書きたい」という気持ちから始める。このため長い作品が多いが、昔の児童書の世界では出版社が長い話を敬遠したこともあり、短い話が書けないことへのコンプレックスもあった。『空色勾玉』は、改行をできるだけなくしてページを詰め、本の厚みを減らした。(上橋菜穂子は、荻原が勾玉シリーズを書いたことで、児童書でも長くてもいいという風に変わっていったと述べている。) 東京のはずれの地元のお祭りも何もない場所に育ち、京都や奈良、遠野物語や宮沢賢治のある東北の人へのコンプレックスがあったという。また、子供の頃から西洋のファンタジーが好きだったが、光と闇の戦いというものが感覚にそぐわないと感じていた。 『空色勾玉』を書くまでは、「発想が『古事記』に引っ張られる、という気持ち」を感じたこともなく、日本を代表するようなものを書くことに自信がなかった。いざ書いてみると、そうしようと思っていないのに日本神話が出てきてしまい、地面の下に神話の水脈があり、それを書くことができた、なにもない街に育った自分でも、生きているだけで根っこが水脈に届くという感覚があったと述べている。 勾玉の世界観における土着の勢力「闇(くら)の世界」は、大祓の祝詞が基本になっており、「あの祝詞には罪を流してくれる神様の名前がいくつも出てきて『ああ、これがそうだな』と思った」のだという。またこの作品を書いたころ、日本古代史に対する考え方はあまり固まっておらず、「記紀神話はキリスト教文化に埋もれたケルト神話のように、仏教文化が入ってくる前の地層にある、というとらえ方をしていた」と述べている。書き終えた後に、「神仏習合」の方が日本人の根本にあるものに近いのではないかと考え方が変わった。 創作は、自分が読んできたものの中から、一番読みたいものを抽出して書いているという感じである。ファンタジーでなくてもいいが、ファンタジーは広い人間関係を書くことができる。ファンタジーは外で起こっていることと中で起こっていることを対応させて書けるジャンルであり、ファンタジーでしか書けないことがある。しかしファンタジーだからと言って、剣と魔法を出したり、ありえないことを起こすといった縛りは必要はないと述べている。 高校2年生ごろに有名なファンタジーをたくさん読んだが、K.M.ペイトンの『フランバーズ屋敷の人々』など、ファンタジーから外れた作品にも神話的な「におい」を感じていたと評している。自分にファンタジーは書けないのではないかと悩んでいた時に、歴史ファンタジー作家のローズマリー・サトクリフが足に障害があって歩けなかったことを知り、創作には外部ではなく自分の内部の観察が大切なのだと感じた。寓話から漏れてしまうものを書くのがファンタジーだと考えている。ミヒャエル・エンデの『モモ』は、読んだ時ショックを受け、自分が読みたいことは全く書かれていない、寓話でもできるのではないかと感じ、エンデを苦手としている。フランク・ハーバートの『デューン/砂の惑星』に大きく影響を受け、本作の「ベネ・ゲセリットの魔女」が『西の善き魔女』につながっている。
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