アルピン朝
アルピン朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 00:23 UTC 版)
ダルリアダ王国の王ケネス・マカルピンは東のアルバ(アラパ)王国を征服したと伝承されるが、これは定かでなく、婚姻によって統合されたとする説、アルバ(アラパ)王国がダルリアダ王国を征服して統一されたとする説などがあり、統一された見解は未だみられない。しかし、ダルリアダ王国とアルバ王国が統合されたということは確かであるため、この統合の頃がスコットランド王国の成立といえる。軍を起こしてケネス3世を殺害し、王位を奪ったマルカム2世のとき、1018年にアングル人のロージアン王国軍を破り、これを併合した。同じ年、ブリトン人のストラスクライド王国(英語版)の王位を孫のダンカン(後のダンカン1世)に継承させ、スコットランド独特のタニストリーと呼ばれる王位継承システムを長子相続のシステムに変えた。しかし、実際に効果を発揮するのは、ダンカン1世の長男マルカム3世以降になる。1040年にダンカンは祖父マルカム2世の死去によりダンカン1世となったときには、ストラスクライドと併せて、現在のスコットランドとほぼ同じ領域を手中にした。
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