王冠連合とは? わかりやすく解説

王冠連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 00:24 UTC 版)

王冠連合(おうかんれんごう、英語: Union of the Crownsスコットランド・ゲール語: Aonadh nan Crùinteanスコットランド語: Union o the Crouns)は、1603年3月24日スコットランドジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王国アイルランド王国の国王に即位したことで成立した同君連合を指す呼称。テューダー朝最後の君主エリザベス1世の死により成立した同君連合である[1]。同君連合の成立により、外交など一部の領域においては三王国が統合される形となった。


  1. ^ ジェームズ6世はセシルを「実質的な国王」(king there in effect)と形容した[5]
  2. ^ 訳注:「島」はグレートブリテン島を指す。
  1. ^ McVey, John Daniel. "The Union of The Crowns 1603 - 2003" (英語). Uotc.scran.ac.uk. 2013年10月25日閲覧
  2. ^ Smith, David Lawrence (1998). "Chapter 2". A History of the Modern British Isles, 1603–1707: The Double Crown (英語).
  3. ^ Conlee, John, ed. (2004). William Dunbar: The Complete Works (英語). Kalamazoo, Michigan: Medieval Institute Publications. 2007年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月26日閲覧
  4. ^ Leslie, John (1570). The History of Scotland: From the Death of King James I, in the Year M. CCCC. XXXVI, to the Year M.D. LXI (英語). 2019年11月26日閲覧
  5. ^ Croft 2003, p. 48.
  6. ^ Willson 1963, pp. 154–155.
  7. ^ Willson 1963, p. 155.
  8. ^ a b c Croft 2003, p. 49.
  9. ^ Willson 1963, p. 158.
  10. ^ Croft 2003, p. 50.
  11. ^ Stewart 2003, p. 169.
  12. ^ Stewart 2003, p. 172.
  13. ^ Stewart 2003, p. 173.
  14. ^ James I, speech to the Westminster parliament, 19 March 1603, e.g. in King James VI and I: Political Writings, ed. Johann Sommerville, Cambridge Texts in the History of Political Thought, Cambridge: Cambridge University Press 1995, p. 136.
  15. ^ Velde, Francois. "Royal Arms, Styles and Titles of Great Britain" (英語). Heraldica.org. 2013年10月25日閲覧


「王冠連合」の続きの解説一覧

王冠連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 03:21 UTC 版)

ステュアート朝」の記事における「王冠連合」の解説

イングランドからテューダー家ヘンリー7世の娘マーガレットジェームズ4世嫁してジェームズ5世生まれステュアート家イングランド王位継承権得た(ただし、ジェームズ4世祖父ジェームズ2世ヘンリー7世大おばジョーン・ボーフォートの子であり、すでにイングランド王家との血のつながりはあった)。 イングランドエリザベス1世即位すると、スコットランド女王メアリージェームズ5世長女)はエリザベス庶出であるとしてイングランド王位を要求しスコットランドイングランドの関係は悪化した嫡子のいなかったエリザベス1世死後メアリー息子であるスコットランド王ジェームズ6世ジェームズ1世としてイングランド王位にも就きアン女王時代グレートブリテン王国として統合されるまで、両国は共通の王と独自の政府議会を持つ同君連合体制をとった。これをイギリス史では王冠連合 (Union of the Crowns) と呼ぶ。 ジェームズ1世その子チャールズ1世は、王権神授説唱えて国王絶対性を説き議会対立した清教徒革命イングランド内戦)が起こるとチャールズ1世処刑されイングランドでは王制廃止された。チャールズ2世王政復古を果たすが、ジェームズ7世2世名誉革命カトリック王として追放された。後、ジャコバイトジェームズ7世2世やその長男家系による王位奪還目指したものの、彼らが正式に王としてイングランドスコットランド迎えられることはなかった。イングランドスコットランド王位チャールズ1世の孫に当たるウィリアム3世、およびジェームズ7世2世2人の娘によって継承されアン女王死後ジェームズ1世曾孫に当たるブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯ハノーファー選帝侯)ゲオルク・ルートヴィヒがグレートブリテンジョージ1世として迎えられハノーヴァー朝成立した。 なお、ピューリタン革命期にイングランドでは王のいない空位時代があったが、スコットランドでは王太子チャールズ2世がただちに即位して空位時代はなかったとされる

※この「王冠連合」の解説は、「ステュアート朝」の解説の一部です。
「王冠連合」を含む「ステュアート朝」の記事については、「ステュアート朝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「王冠連合」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  王冠連合のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「王冠連合」の関連用語

王冠連合のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



王冠連合のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの王冠連合 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのステュアート朝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS