スコットランド‐おうこく〔‐ワウコク〕【スコットランド王国】
スコットランド王国
スコットランド王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/05 01:12 UTC 版)
「スコットランド独立運動」の記事における「スコットランド王国」の解説
詳細は「スコットランド王国」を参照 スコットランド王国は中世前期に建国されたときから独立国家だった。アンドルー・マーなど、その建国をケネス・マカルピン在位中の843年に求める歴史家もいる。スコットランド王国の正統性は、繰り返されるイングランドの侵略に脅かされていた。イングランドの国王たちは様々に正当化を施してスコットランドを領地だと主張した。ローマ教皇をはじめ国外の支配者にはしばしば、そうした軍事的な侵略に対する釈明が行われた。イギリスのフォークロアの世界ではポピュラーな神話に、次のようなものがある。すなわち「ブリテンの建国者であるトロイのブルータスは、イングランドを長子ロクリヌスに与え、スコットランドを末子アルバナクトゥスに与えた」というものである。スコットランド人はこれに異議を唱え、スコットランドはそれより古い時代に、ギリシア人の王子であるゴイデル・グラス(英語版)とその妻にしてファラオの娘スコタ(英語版)によって建国されたという自分たちの神話をつくりだしたのである。伝説によれば、エジプトからスコットランドまでスクーンの石(代々のスコットランド王がその上で戴冠式を挙げたとされる石)を運んできたのはスコタである。 スコットランド王国の歴史における分水嶺は、1290年に起こった王位継承問題だった。それがスコットランドを操ろうというイングランドの新たな企みにつながったのである。イングランドに対するスコットランドとフランスの「古い同盟」がこのとき初めて締結され、その関係は16世紀まで健在であった。イングランドとの戦いである第一次スコットランド独立戦争は1306年に即位したロバート1世の時代に終結し、その外孫ロバート2世がステュアート朝初代のスコットランド王となった。
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