スコットランド海洋学研究所
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「ウィリアム・スペアズ・ブルース」の記事における「スコットランド海洋学研究所」の解説
ブルースの標本コレクションは、北極と南極の10年間以上の旅で集められたものであり、恒久的な保管所を必要とした。ブルース自身もスコティアの航海の詳細な科学的報告書の出版準備をするために、基地を必要としていた。エディンバラのニコルソン通りに建物を取得し、そこに研究所と博物館を作って、スコットランド海洋学研究所と名付け、将来的にスコットランド国立海洋学研究所とする大望があった。公式には1906年にアルバート大公によって開所された。 ブルースはこの建物の中に、気象学と海洋学の装置類も収容し、将来の遠征に備えた。そこではナンセン、シャクルトン、ロアール・アムンセンなど、仲間の探検家とも会った。しかしその主要な任務は、スコットランド国営南極遠征の科学的報告書を準備する計画の推進だった。これには多額の費用がかかり、またかなり遅れたまま、1907年から1920年の間に出版されたが、1巻のみすなわちブルース自身の日誌は、再発見された後の1992年になって出版された。ブルースは、1839年から1843年にジェイムズ・クラーク・ロスと共に南極に旅していたジョセフ・ダルトン・フッカー卿など専門家との文通を幅広く維持していた。ブルースはその短い著作『極地探検』をフッカーに献呈した。 1914年、さらに恒久的な収容施設を見つける方向で検討が始まった。これにはブルースの収集品と、その年に亡くなった海洋学者ジョン・マレー卿のチャレンジャー号の標本と図書が対象だった。ブルースは新しい会館をマレーの記念に創設すべきと提案した。その提案には全会一致の賛成があったが、そのプロジェクトは戦争の勃発によって妨げられ、復活されることはなかった。スコットランド海洋学研究所は1919年まで運営されたが、この年にブルースが健康を害し、閉鎖を余儀なくされた。その収集品はスコットランド博物館、王立スコットランド地理学会、およびエディンバラ大学に分散保管された。
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