ジェイムズ・クラーク・ロスとは? わかりやすく解説

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ロス【James Clark Ross】


ジェイムズ・クラーク・ロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/14 09:21 UTC 版)

ジェイムズ・クラーク・ロス

サージェイムズ・クラーク・ロス英語: Sir James Clark Ross1800年4月15日1862年4月3日)は、イギリス海軍軍人探検家

経歴

ロスはロンドンで生まれ、1812年にイギリス海軍に入った。1818年、おじのジョン・ロス北西航路探索の最初の航海に出た。1819年から1827年の間にロスはウィリアム・エドワード・パリーのもとで4度の北極探検に参加した。

1828年には王立協会のフェローに選出されている[1]

1829年から1833年にかけ、再びおじのジョン・ロスによる探検隊に加わり、この探検中の1831年6月1日北磁極への到達に成功した。北極圏から帰国した後、1835年から1838年までブリテン諸島にて初の体系的な磁気探査に従事した。

1839年から1843年にかけてロスはエレバスとテラーの2隻からなる南極探検隊を率い南磁極への到達を目指した。南磁極への到達はできなかったが、1841年にはロス海ビクトリアランドロス島の火山エレバス山テラー山メルボルン山ポーレット島を発見するなど多くの調査結果を得た。1842年王立地理学会金メダル(創立者メダル)を受賞し[2]、1843年にはナイトに叙任された[3]。1845年にこのエレバスとテラーを使ったジョン・フランクリン北極探検隊が消息を絶ったため、ロスはエンタープライズとインヴェスティゲーターの2隻を指揮して1848年から捜索を行ったが発見は叶わなかった。1856年に少将に昇進した。

著書に『南方および南極地域における発見と調査の航海』(A voyage of discovery and research in the southern and Antarctic regions during the years 1839–43)がある。

記念

上記のロス海ロス島のほか、ロス棚氷ジェイムズロス海峡ロス山にその名が付けられた。月の静かの海にあるクレーターの一つにもロスの名が付けられている。イギリスで1990年に進水した極地調査船はRRSジェームズ・クラーク・ロスと命名された。

脚注

  1. ^ "Ross; Sir; James Clark (1800 - 1862)". Record (英語). The Royal Society. 2015年7月12日閲覧
  2. ^ Medals and Awards, Gold Medal Recipients” (PDF). Royal Geographical Society. 2014年4月14日閲覧。
  3. ^ "No. 20325". The London Gazette (英語). 15 March 1844. p. 909. 2015年7月12日閲覧

参考文献


ジェイムズ・クラーク・ロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:29 UTC 版)

最南端到達の歴史」の記事における「ジェイムズ・クラーク・ロス」の解説

詳細は「ジェイムズ・クラーク・ロス」を参照 ジェイムズ・クラーク・ロスがHMSエレバスHMSテラー使って行った1839年から1843年南極遠征は、フルスケールイギリス海軍による事業であり、その主たる機能当時磁気理論試験し南磁極位置突き止めることだった。この遠征はまず指導的な天文学者ジョン・ハーシェル卿から提案され王立協会イギリス先端科学協会支持したロス磁気観測北極探検過去かなりの実績があった。1831年5月北磁極達した隊のメンバーだった。またその指揮官として明らかに選ばれた者だった。 遠征隊は1839年9月30日イングランド出発し磁気に関して実行求められ多く停泊遅らされ航海の後1840年8月タスマニア到着した南半球の冬のために課された3か月休止の後、1840年11月12日に南と東に向けて出発した1841年1月1日には南極圏入った1月11日、南に広がる長く山岳性の海岸線見えてきた。ロスはその陸地ヴィクトリアランド命名し山脈アドミラルティ山脈とした。海岸沿いを南に進みウェッデル最南記録7415分1月23日通過した。その数日後、岸の氷を避けるために東に動き双子火山1つ活火山)を視認して、遠征隊の船名にちなんエレバス山テラー山名付けた。 グレート・アイス・バリア(後にロス棚氷呼ばれるようになった)がこれら山脈の東に広がりそれ以上南へ進行不可能にする障害になっていた。ロス海峡あるいは入り江探してバリアの縁に沿って300海里 (560 km) 探検し1841年2月8日あるいはその頃おおよそ南緯78度に達したロスは船で越冬できる適当な停泊所をつけられず、タスマニア向けて引き返し1841年4月到着した次のシーズンで、ロスバリア戻り、その表面入り江見つけた1842年1月23日には最南記録南緯78度9分30秒まで延ばした。この記録その後58年塗り替えられることがなかった。ロス南極大陸上陸できず、南磁極の場所を突き止められなかったが、1843年イングランドに戻ると、地理学科学的探検の功績によってナイト叙された。

※この「ジェイムズ・クラーク・ロス」の解説は、「最南端到達の歴史」の解説の一部です。
「ジェイムズ・クラーク・ロス」を含む「最南端到達の歴史」の記事については、「最南端到達の歴史」の概要を参照ください。

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