アーネスト・シャクルトン
アーネスト・シャクルトン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:29 UTC 版)
「最南端到達の歴史」の記事における「アーネスト・シャクルトン」の解説
詳細は「ニムロド遠征」を参照 アーネスト・シャクルトンはディスカバリー遠征の最南端記録に関わった後で、帰還の旅の途中で肉体的に歩くこともできなくなり、スコットの命令で遠征の救援船に乗って帰国することになった。シャクルトンはこのことを酷く残念に思い、スコットとの間柄はライバル関係になった。その4年後、シャクルトンは自分の極圏探検隊であるニムロド遠征を編成した。1907年から1909年に行われたこの遠征は南極点到達という絶対的な目標を初めて競っていた遠征であり、そのために特別の戦略を立てていた。 この動きを支援するために、シャクルトンは満州産ポニーを荷物搬送用の家畜とし、より伝統的な犬ぞりと共に併用する輸送戦略を採用した。特注されたモーター駆動橇も採用された。犬とモーターは遠征中に多目的で使われたが、極点に向かう行軍を引き受けた集団を助ける任務はポニーになった。極点に向かうシャクルトンの隊員を4人としたのは、残っていたポニーの数で決められた。ニュージーランドで船に乗せた10頭のポニーの中で1908年の冬を生き残ったのは僅か4頭だった。 シャクルトンとその3人の仲間、フランク・ワイルド、エリック・マーシャル、ジェイムソン・アダムズは1980年10月29日に南極点行を始めた。11月26日、スコットの1902年の隊が到達した最南端点を通過した。シャクルトンはその日誌で、スコット大佐との以前の行軍のときよりも、遥かに少ない日数でそこまで達したことに触れて、「記憶すべき日」と記していた。シャクルトンの隊は南下を続け、ベアドモア氷河を発見してそれに登り、南極台地に至り、1909年1月9日にはその最南端南緯88度23分まで行った。そこは南極点まで残り97海里 (180 km) に過ぎなかった。ここで彼らはアレクサンドラ王妃から贈られていたユニオンジャックを立て、その台地を国王エドワード7世の名前で領有を宣言した。その後は食料と物資の欠乏のために北に引き返すことを余儀なくされた。これは当時北極を合わせても、最も極点に近づいた記録だった。前のスコットの記録から緯度で6度以上も前進したことは、1773年にクック船長が記録して以来の大きな最南端の進展だった。シャクルトンがイングランドに戻ると英雄として扱われ、エドワード7世からナイトに叙された。しかし、この記録は3年しかもたなかった。1911年12月7日にアムンセン隊によって越されることになった。
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