アーネスト・サトウによる調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/30 02:28 UTC 版)
「前二子古墳」の記事における「アーネスト・サトウによる調査」の解説
アーネスト・サトウ(Sir Ernest Mason Satow)はイギリス政府から派遣された外交官の一人であり、考古学に興味を抱いていた。彼は大室での発掘調査や出土品についての情報を群馬在住の知人から入手していた。サトウは1880年(明治13年)3月初旬に大室を訪れ、前二子古墳の出土品のスケッチや測定を行っている。このときの調査内容は4月13日の日本アジア協会で発表し、その内容は『日本アジア協会紀要』第8巻第3号に「上野地方の古墳群」として収録されている。この紀要に石室内部の遺物の出土状況を非常にわかりやすくスケッチしているほか、石室に塗られた赤色顔料やガラス玉のサンプルを持ち帰り、それぞれ酸化鉄とカリガラスという化学分析の結果も報告している。これは日本で初めて行われた科学的分析として大変意義深いものである。
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