アーネスト・ジョセフ・ルメールとは? わかりやすく解説

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アーネスト・ジョセフ・ルメール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/12/15 06:02 UTC 版)

アーネスト・ジョセフ・ルメール
 CMG

任期
1923年8月14日 – 1940年1月1日
首相 マッケンジー・キング
前任者 Rodolphe Boudreau
後任者 アーノルド・ヒーニー

出生 1874年????
ケベック州シェルブルック
死亡 1945年
国籍 カナダ
母校 セント・チャールズ・カレッジ
職業 官僚

アーネスト・ジョセフ・ルメール (Ernest Joseph Lemaire、1874年 - 1945年)は、カナダ官僚である。ルメールは長きにわたってカナダ官僚中の筆頭である枢密院書記官長を務めた。

ルメールは1874年にオンタリオ州シェルブルックイースタン・タウンシップ)に生まれた[1]。その後、シェルブルックのセント・チャールズ・カレッジで学び、1894年から枢密院事務局で官僚としての一歩を踏み出した。

1904年から12年まではウィルフリッド・ローリエ首相私設秘書を務め、1907年の植民地会議や1911年の帝国会議ではローリエに随行した[2]

ローリエが政権を去ってからは、郵政省に異動し、1912年には切手局長、1921には施設供給局長になった。1923年8月から40年1月までは古巣の枢密院で書記官長を務めた[3]

1934年6月、枢密院書記官長としての功績によって聖マイケル・聖ジョージ勲章を受章した[2]

1945年に他界[4]

脚注

  1. ^ Ernest J. Lemaire fonds. Library and Archives Canada. 2012年11月30日閲覧。
  2. ^ a b “Knighthoods Conferred On 2 Canadians”. Ottawa Citizen. (1934年6月4日) 
  3. ^ Ernest Joseph Lemaire. Clerk of the Privy Council. 2012年11月30日閲覧。
  4. ^ Lethbridge Herald. (1945年10月6日) 



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