アーノルド・ヒーニーとは? わかりやすく解説

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アーノルド・ヒーニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 05:32 UTC 版)

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アーノルド・ダンフォード・パトリック・ヒーニー
Arnold Danford Patrick Heeney

PP CC
枢密院書記官長
任期
1940年3月25日 – 1949年3月14日
首相 マッケンジー・キング、ルイ・サンローラン
前任者 アーネスト・ジョセフ・ルメール
後任者 ノーマン・ロバートソン
個人情報
生誕 (1902-04-05) 1902年4月5日
ケベック州モントリオール
死没 1970年12月20日(1970-12-20)(68歳)
国籍 カナダ
出身校 マニトバ大学オックスフォード大学マギル大学
職業 法律家外交官官僚

アーノルド・ダンフォード・パトリック・ヒーニー(Arnold Danford Patrick Heeney、1902年4月5日 - 1970年12月20日)は、カナダ法律家外交官官僚である[1]

ヒーニーが生まれたのはケベック州モントリオールである。彼はウィニペグのセントジョンズ・カレッジを1921年に卒業し、学士号を取得した。1923年には修士号マニトバ大学から得ている。マニトバ・ローズ奨学金オックスフォード大学のセントジョンズ・カレッジに留学した後、あらためてマギル大学民法の学士号を得ている。

1929年に海洋法の専門家として彼はモントリオールの法律事務所に就職した。彼が扱った最後の仕事の一つがF・R・スコット対ウェストマウント市の裁判で、本件で彼はスコットを勝訴に導いている。

1938年にはマッケンジー・キング首相の首席秘書官になった。1940年から49年には枢密院書記官長となった。彼はおそらく第二次大戦期における官僚のなかでもっとも重要な人物であった。ある歴史家は彼を評して「ほとんど独力でカナダの行政を近代化した」と述べている[2]

1949年にヒーニーは外務次官になり、その後、北大西洋条約機構(NATO)大使に就任した。彼は1953年から57年にかけて、また59年から62年にかけて在アメリカ大使を務めた[3]

1968年にはカナダ勲章のコンパニオンを受勲した[4]。彼は1970年にオタワで亡くなっている。

脚注

  1. ^ Arnold Heeney”. The Canadian Encyclopedia. 2012年11月30日閲覧。
  2. ^ Granatstein, J.L. (1982). The Ottawa Men: The Civil Service Mandatrins, 1935-957. Oxford University press. p. 207. ISBN 0-19-540387-8 
  3. ^ Heeney, Arnold Danford Patrick (Career), Heads of Post List”. Foreign Affairs and International Trade Canada. 2012年11月30日閲覧。
  4. ^ Order of Canada, Arnold Heeney, C.C.”. Governor General of Canada. 2012年11月30日閲覧。

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